ブログトップ

DONUT WORKSHOP REPORT

donatsu.exblog.jp

「ぶつかったり、モヤモヤしたり、どうしても泣くしかなかったり、色々しながら自分を作り、他人を知る。」

こんにちは。みなさん連休はいかがでしたか。
気づけば、11月も最終週。また少しずつご報告していきたいと思います。
今日は、ホームタウン越谷にて、秋から毎週開催している親子講座の様子から。

f0148974_2339522.jpg
ここでは、親子一緒に工作で遊べる色々な素材がおいてあります。
また、量もストック分は全部おいておきます。

その理由はというと、子ども達の興味のきっかけをできる限りいろいろ置いて、子ども達の判断にゆだねてみたいからです。

子どもたち一人一人がどんなものを選び、何を、どんな風に、どれだけ使って遊ぶのか。

紙に、箱に、紐に、クレヨンに、ペンに、絵のぐ、のり

存分に描き、切り、貼り、考え、研究する。

子どもの遊ぶ力、そして学ぶ力はすごいです。

****

このブログでも何度か書いていますが、僕が親子のワークショップをはじめた当時は、
「工作だけで一時間半も、小さい子どもの集中はもちませんよ。」
とよくいわれました。

でも、僕は反対に、子ども達みんなが飽きちゃう場面なんてみたことがありません。
子ども達は自分で「面白い」を見つける天才ですから。

じゃあなぜ飽きる子どもがいるのか。
それは簡単です。

そういう先生たちのやる工作の時間には、
子ども主体の遊びではなく、大人の意向・大人の制限・大人の都合や流れ、そういう関係ないものが入っているからです。
「工作」という活動自体は同じでも、本人に主体のない遊びは遊びではなく、作業やタスクになります。それは飽きますよね。

にも関わらず、そうして、飽きた子どもを見ると、
その原因は自分の環境作りや子どもに対して向き合う姿勢ではなく、
子どもの未熟さに原因があると考える。
そして、子どもは未熟だからと、はやめはやめに次の展開を考え、大人のタイミングで切り上げる。

だからますます見えなくなる。
子どもがどれほどの力をもっているかということが。

それで、
「小さな子どもは集中力をもっていない」
と誤解する。

これがサイクルなんだと思います。

****
ワークショップでは、

素材はある分だけ子ども達の前に用意しますし、子ども達に全部みせます。

すると、たまに、こうした環境の作りでは子どもの実態を把握できてないのでは、
なんて考える人がいます。
理由は、

活動・素材を一つにしないと集中が散漫になるとか、
出したら出した分だけ全部使っちゃうからセーブするとか、
色々選べたら取り合いやケンカが起きるとか、

考えるからだそうです。

しかし、僕はそれは単にごまかしではないかと思います。

たしかに余分に準備しなければ、子どもは余分に使うことはないのかもしれません。
取り合いなどもおきないでしょう。

でも、それはあくまで大人にコントロールされてるだけ。

大人がコントロールしてれば、トラブルは少なく、楽でしょうが、
子どもが自ら育つこととはかけ離れているのではないかと、僕は思います。

****

たしかに色々な要素があればある分、色々な迷い、葛藤、衝突などもおこるでしょう。
でもそれも含めて、育ちの時間だと思います。

今回もありました。
二歳半頃のターちゃんは、俗にいうイヤイヤ期のまっただ中です。
f0148974_23402869.jpg


でもイヤイヤ期って、そもそもこの言い方が、実は大人が中心の視点の言い方なんだと思います。
子どもからすれば、自分を主張しているだけで。
それはいいかえれば、自分を自覚しはじめたということで、
なんとも素敵なはじまりの時間なのです。

と、同時に、自分の思いや価値観を自覚しはじめたからこそ、
他人との違いが生まれ、葛藤しはじめる時間でもあります。

そんな自己発見まっただ中のターちゃんが帰り際、
こちらが用意していた画用紙を
「全部持って帰る」
と、カバンにしまおうとしました。

なので、お母さんと僕は
「それはできないよ。」
といいます。

「やーーだーー!!」
泣きだすターちゃん。
「他のお友達も使いたいからさ。」
「そのかわり、来週も必ずもってくる。」
説明する僕。
泣くターちゃん。

お母さんは、こちらに気を使って
「ごめんなさいね。だいじょうぶですから。」といって、連れて帰ろうとしましたので、
僕は言いました。

「ママ、いいよいいよ。
ターちゃんには自分の思いがあって、でも、だから他人とのあいだではズレも生まれて。それってすごいことだよ。

今はきっと「自分」と「他人」のギャップの間で葛藤する最初の時間だからさ。
じっくり付き合って、
っていっても、ママと二人でいつもそうは言ってられないのが正直なところかもしれないけど。
でも、この講座ははそれを一緒に過ごせる場所の一つですから。
ターちゃん、たっぷり泣いていいし、泣くほどの思いに僕たちも向き合うし。
もちろん、できないなことやその理由も伝え続けますよ。
それで一緒にモヤモヤの時間を過ごしましょ。」

ターちゃんが少し落ち着いてきたところで、もう一度僕から提案しました。
「一枚ずつならおウチにもっていっていいから。あとはまた今度ここで使おう。」

お母さんは、また「いえいえ、いいんです。」っていってくれましたが、

「ターちゃんが、全部ほしいっていう自分の気持ちをおさえようとしているのだから、僕のほうも折衷をつけて、お互いさまにしようよ。」

といって、お互いに寄り合おうとしました。

そしてターちゃん、涙をグッと拭い、
「うん。」
といって、一枚ずつ取ると、残りは僕に返してくれました。

自分の気持ちと、こちらの気持ちを一生懸命に考えたターちゃんでした。


翌日、お母さんからも素敵なメールをいただきましたので、少しだけ紹介します。

>昨日は大変お世話になりました。
>私は、ごまかして「なくなっちゃったねぇ。おうちにもあるよ。」で帰ろうとしました。
>が、ひでちゃんが一人前に扱い、じっくり話してくださりました。
>そして、折衷案に納得することができました。
>イヤイヤ期真最中の息子に一つ一つじっくり話して納得させることを怠っていたと反省>しました。
>一人前に扱うことって大事だなと改めて思います。
>彼を理解しようと目を見て正面から 話してくれる大人がいることはターにとって幸>せなことだと思います。
>そしてみなさんや、友だちといる場が心のよりどころの1つになったら嬉しいです。
>ターの世界が広がっていくのですね。
>これからもターがいろいろ我を出すと思いますが、よろしくお願いします。

ママも一生懸命。素敵です。

*****

子ども達の育つ環境を考えた時に、

例えば、子どもは何でもみさかいなく使うから、必要分しか与えない・見せないほうがいいとか、

例えば、AさんとBさんは相性が悪いから、クラスやグループを離せばいいとか、

そういうことを当然のように考える人も少なくありませんが、
大人目線でみて、それぞれの葛藤や、試行錯誤、他人との衝突やトラブルを回避することは、
はたして子ども達が育つ環境を作っていることなのでしょうか。

僕はそうは思いません。

今日、何かの課題を上手にできたかどうか、
今日、誰ともケンカをせずにみんなで仲良くいられたかどうか、

はたまた
保育園or幼稚園のうちに何かができたかどうか、
小学校or中学校のうちに何かができたかどうか、

などなど、大人はつい、
大人の決めた時間、大人自身がかかわっている時間で、
目の前の子どもにゴールを、結果を求めがちですが。

でも、それは子どもの育つ時間という視点からみると、
なんてことないことなのかもしれません。

だって、例えば園を卒園する3月と小学校に入学する四月というのは、先月と今月の違いでしかなく、

もっといえば、学年なんていうのも、3月31日と4月1日、昨日と今日くらいの違いでしかないわけで。
(もちろん、卒園や進級という節目の魅力、ドキドキやワクワクの気持ちはいっぱいあるでしょうが)
それを

「もう年長さんなんだから。」
とか
「もう小学生なんだから。」
と子ども達にいうのは、少し変な感覚だと思います。

大人時間で、子どもの育ちを捉えるのではなく、
もっともっと大人になるまでの広い視野で、子ども達のペースで育ちを捉えてみたら、
親も、保育者も、教育者も、
目の前でおきる子どもの色々な育ちに対してもっと気楽に、穏やかに、どーんと構えていられるように思います。

たっぷり泣いて、迷って、ぶつかって、葛藤して、ゆっくりゆっくり大きくなってもらいたいものです。

「そうはわかっていても親は大変なのよ~。」
というママ・パパ達の気持ちも、めいっぱい想像しながら、
僕も楽しく応援できるようがんばりたいと思います。

参加してくれたみなさん、ありがとうございました(*^^*)
[PR]
by doughnut-official | 2014-11-25 00:16 | 親子のWS
<< 「作るのが上手いことよりも、作... 「子育ての話ではなく、育てられ... >>