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DONUT WORKSHOP REPORT

donatsu.exblog.jp

「放課後の価値と地域の大人の役割」

こんにちは。今日は今月はじめに文教大学で行われた
「子ども×地域×若者フォーラム」からリポートしたいと思います。

ゲスト講師は僕を含め四名。
越谷市で障がい者の余暇支援をしているダンデライオン代表中村さん。
草加市で児童発達支援・放課後等デイサービスをされているNPOひこうせん代表油科さん。
そしてなんとこのたびは文科省からも。地域に根差した学校づくり、コミュニティ・スクールを提案している出口さん。
そして放課後の子どもの居場所づくり事業でコーディネーターをさせてもらっている僕です。
ナビゲーターは文教大学の青山先生が担当し、今の僕たちと、そして学生達とできることというのをテーマに、各視点からお話しさせていただきました。

みなさんの内容もほんの少しですが紹介しましょう。
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まずは青山先生のイントロダクションです。
自分なりの一歩を踏みだすことの魅力について。
普段から学生に知識と思いを伝え続けていらっしゃる青山先生だからこそ届けられる、優しい言葉と明るい雰囲気は、参加者の皆さんの気持ちを一気に高めていたように思います。

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中村さんのお話は、障がい者の余暇支援をやっていて一番大切に思うことは、いかに自分たち自身がメンバーと楽しみながら、健常・障がい関係なく出会い、共に楽しい時間を過ごせるか。
という点が非常に印象深く、僕自身も共感させてもらいました。

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油科さんのお話は、もともと地域の親たちに子ども会の企画を頼まれたことがきっかけで、なんと夫婦でNPOを立ち上げ、事業として子ども達の場所を作ってしまったというドラマ。その情熱と行動力、そして実現力にたくさんの学びをいただきました。

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出口さんのお話は、学校をベースにしたコミュニティづくりにはどれだけの可能性があるかということを話してくださいました。現場の先生、保護者にも様々な考えの人がいて、こうしたコミュニティづくりの意識にはギャップもあるものですが、だからこそ、情熱をもって提案していく人が行政にいるのは頼もしいことだと思いました。


そして僕はというと、放課後の価値とそこに関わる地域の大人というテーマでお話しをさせてもらいました。
卒業と同時に担当している放課後子ども教室のコーディネーターが、今年で7年目を迎えましたので、その中で見えてきたことから。
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放課後の価値 
放課後がテーマということで、まずは子ども達の一日の時間をおおまかに分けてみることから始めました。

それは「家の時間」「学校の時間」そして「放課後の時間」です。

家の時間とは、家族と一緒に過ごす時間。
学校の時間とは、学校の中で友達や先生と過ごす時間です。

これらの時間は、自分だけの思い、自分だけのペースで過ごすことはなかなか難しいように思います。学校には時間割やクラスの流れがあるし、家庭にも家族の流れがありますからね。何でも自分の好きにというわけにはいきません。
それがダメという意味ではなくて。
家族集団、学校集団の時間には魅力も含めて、そういう面があるということです。

中には「いやいや。私は子どもに寄り添っています。」と思う方もいるでしょう。
僕自身も大切にしたいと思っています。
でも。それでも、大人側の思いと子ども側の思いにはギャップがあるように思います。
なぜなら、そんな素敵な親や先生ならば、子ども達はいっそう、その人のことを思いやるからです。そして大人たちには気づかれないように、めちゃくちゃうまく気持ちを汲みとってくれたりするからです。

それに対して、放課後の時間。

これは、友達と遊びたければ友達と遊ぶもよし。
一人で過ごしたければそれもよし。
もちろん家族と過ごすのもよし。
それらを途中で変更するのもよし。

共通するのは、本人の主体性と本人のペースが保てる自由な時間ということなのでしょう。
それは言い換えると、
「自分の判断で過ごせる時間」
といえるように思います。

その判断は、うまくいくこともあれば、失敗することもあるもので。
ではその成功と失敗の基準は何かというと、それは自分の嬉しい、楽しい、悲しいといった気持ち。心です。

そんな自分の判断の一つ一つが、
成功と失敗の経験、心の経験へとつながり、心の経験の積み重ねが、その人自身の価値観を作るように思います。

自分の判断で過ごせる時間。

それが、放課後の価値ではないかと思います。

第三の大人の存在
さて、そんな放課後ならば、そもそも大人がその時間に関わることはナンセンスなように思えます。ですが、この放課後の時間が少しずつ変化しているのが今なのでしょう。

例えば、習い事や塾通いで忙しい子どもたち。最近は学校の宿題も多いようです。
例えば、ルールとゴールが明確に定められた携帯ゲームやカードゲームの遊び。
その完成度の高さが魅力でもありますが、子どもたちが自分でアレンジする余地というのはあまりありません。
例えばケンカをしたら、それはお互いの思いの相違や葛藤、折り合いをつけていく経験の学びになるチャンスです。しかし実際はすぐお互いをごめんなさいと謝らせ、ケンカの状況を長引かせない。つまりクラスの外や家にまで持ち込ませないことをよしとする学校の一部の対応。さらには、トラブルは解決ではなく、回避することを良しとする体質。

そういう環境の中では、放課後の時間であっても、無意識に大人の価値観がしみ込んでいるように思います。

そこで放課後を放課後らしくする。
「課」題の「後」の「放」たれた時間にする。
そのために僕は、親でも先生でもない第三の大人の存在というのを提案させてもらいました。

例えばケンカが起きたとき。
これが学校の場合、子ども達の多くは解決を先生に求めます。
そして多くの先生は、先生が采配します。
(直接的な言葉は使わず、自分たちで解決した風にしながら、実は雰囲気で誘導するというのも含めて。)

では放課後、そこに先生がいなければどうかというと。
ふだん学校で先生がやっている治め方を、
ケンカした当事者、あるいは見ていた人の中で、意見を通すのが得意な方・強い方・味方をつけることができた方がやります。
これでは、子ども同士で解決しているようで、実は背後に学校の先生がいます。

そこで、第三の大人の登場です。
親でも先生でもない大人。
それは特に子どもにとって、その人との関係に利害があるわけでも、立場があるわけでもない、対等な関係でいる大人です。
第三の大人がそこにいる場合も、子ども達は解決を求めます。
でも解決はしません。聞くだけ。
そして、じっくり解決すればいいというのを言葉や雰囲気で伝えます。
すると、これだけでもびっくりする子がいたりします。

「え?お互いにあやまらなくていいの?」

と。言わないけど、そんな顔です。
それで、あらためてお互いに話したり、もう話したくないといって悶々としたり、そういう時間を過ごします。そうしてじっくり考えて、やっぱり仲直りしたいなって思った時に、それは翌日、もっとあとかもしれないけど、自分たちのタイミングで謝るのでしょう。
逆に、子ども同士では学校的なやり方に傾きそうときは、フォローに入るのもありです。

そんな風に、子ども達を無意識に、一方的な価値観にひきこんでいる大人のムードに対して、あえて、自分の価値観で過ごせる時間をキープする、ひきこまれないように引き戻す。
というよりも「曖昧な時間を肯定する」「逃げ場や隙間を作る」という意味で、第三の大人の存在がいる意味はあるのではないかと考えます。

繰り返しになりますが、本来は放課後に大人なんていなくていいと思っています。
だけど、アンバランスな環境を作り出しているのは大人です。
だからこそ、そのバランスをとるのも大人の役目なのではないでしょうか。

子ども達と対等に向き合い、自身も成功と失敗をくりかえす判断やペース、そういうありのままの姿を見せてくれるモデルとしての存在は、子どもたち一人ひとりの自分らしい時間、放課後に楽しい影響をもたらせてくれるように思います。

そんな第三の大人として、学生さんを中心に、地域のお兄さん・お姉さん、おっちゃんやおばちゃん、じいちゃん、ばあちゃんと一緒に、これからも活動していければ嬉しいです。

参加してくれた皆さん、そして実行委員として活躍してくれた縁の下の力もち&青山ゼミの皆さん、どうもありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2013-10-23 07:17 | 研修会・講演
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