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DONUT WORKSHOP REPORT

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「ぶつかったり、モヤモヤしたり、どうしても泣くしかなかったり、色々しながら自分を作り、他人を知る。」

こんにちは。みなさん連休はいかがでしたか。
気づけば、11月も最終週。また少しずつご報告していきたいと思います。
今日は、ホームタウン越谷にて、秋から毎週開催している親子講座の様子から。

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ここでは、親子一緒に工作で遊べる色々な素材がおいてあります。
また、量もストック分は全部おいておきます。

その理由はというと、子ども達の興味のきっかけをできる限りいろいろ置いて、子ども達の判断にゆだねてみたいからです。

子どもたち一人一人がどんなものを選び、何を、どんな風に、どれだけ使って遊ぶのか。

紙に、箱に、紐に、クレヨンに、ペンに、絵のぐ、のり

存分に描き、切り、貼り、考え、研究する。

子どもの遊ぶ力、そして学ぶ力はすごいです。

****

このブログでも何度か書いていますが、僕が親子のワークショップをはじめた当時は、
「工作だけで一時間半も、小さい子どもの集中はもちませんよ。」
とよくいわれました。

でも、僕は反対に、子ども達みんなが飽きちゃう場面なんてみたことがありません。
子ども達は自分で「面白い」を見つける天才ですから。

じゃあなぜ飽きる子どもがいるのか。
それは簡単です。

そういう先生たちのやる工作の時間には、
子ども主体の遊びではなく、大人の意向・大人の制限・大人の都合や流れ、そういう関係ないものが入っているからです。
「工作」という活動自体は同じでも、本人に主体のない遊びは遊びではなく、作業やタスクになります。それは飽きますよね。

にも関わらず、そうして、飽きた子どもを見ると、
その原因は自分の環境作りや子どもに対して向き合う姿勢ではなく、
子どもの未熟さに原因があると考える。
そして、子どもは未熟だからと、はやめはやめに次の展開を考え、大人のタイミングで切り上げる。

だからますます見えなくなる。
子どもがどれほどの力をもっているかということが。

それで、
「小さな子どもは集中力をもっていない」
と誤解する。

これがサイクルなんだと思います。

****
ワークショップでは、

素材はある分だけ子ども達の前に用意しますし、子ども達に全部みせます。

すると、たまに、こうした環境の作りでは子どもの実態を把握できてないのでは、
なんて考える人がいます。
理由は、

活動・素材を一つにしないと集中が散漫になるとか、
出したら出した分だけ全部使っちゃうからセーブするとか、
色々選べたら取り合いやケンカが起きるとか、

考えるからだそうです。

しかし、僕はそれは単にごまかしではないかと思います。

たしかに余分に準備しなければ、子どもは余分に使うことはないのかもしれません。
取り合いなどもおきないでしょう。

でも、それはあくまで大人にコントロールされてるだけ。

大人がコントロールしてれば、トラブルは少なく、楽でしょうが、
子どもが自ら育つこととはかけ離れているのではないかと、僕は思います。

****

たしかに色々な要素があればある分、色々な迷い、葛藤、衝突などもおこるでしょう。
でもそれも含めて、育ちの時間だと思います。

今回もありました。
二歳半頃のターちゃんは、俗にいうイヤイヤ期のまっただ中です。
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でもイヤイヤ期って、そもそもこの言い方が、実は大人が中心の視点の言い方なんだと思います。
子どもからすれば、自分を主張しているだけで。
それはいいかえれば、自分を自覚しはじめたということで、
なんとも素敵なはじまりの時間なのです。

と、同時に、自分の思いや価値観を自覚しはじめたからこそ、
他人との違いが生まれ、葛藤しはじめる時間でもあります。

そんな自己発見まっただ中のターちゃんが帰り際、
こちらが用意していた画用紙を
「全部持って帰る」
と、カバンにしまおうとしました。

なので、お母さんと僕は
「それはできないよ。」
といいます。

「やーーだーー!!」
泣きだすターちゃん。
「他のお友達も使いたいからさ。」
「そのかわり、来週も必ずもってくる。」
説明する僕。
泣くターちゃん。

お母さんは、こちらに気を使って
「ごめんなさいね。だいじょうぶですから。」といって、連れて帰ろうとしましたので、
僕は言いました。

「ママ、いいよいいよ。
ターちゃんには自分の思いがあって、でも、だから他人とのあいだではズレも生まれて。それってすごいことだよ。

今はきっと「自分」と「他人」のギャップの間で葛藤する最初の時間だからさ。
じっくり付き合って、
っていっても、ママと二人でいつもそうは言ってられないのが正直なところかもしれないけど。
でも、この講座ははそれを一緒に過ごせる場所の一つですから。
ターちゃん、たっぷり泣いていいし、泣くほどの思いに僕たちも向き合うし。
もちろん、できないなことやその理由も伝え続けますよ。
それで一緒にモヤモヤの時間を過ごしましょ。」

ターちゃんが少し落ち着いてきたところで、もう一度僕から提案しました。
「一枚ずつならおウチにもっていっていいから。あとはまた今度ここで使おう。」

お母さんは、また「いえいえ、いいんです。」っていってくれましたが、

「ターちゃんが、全部ほしいっていう自分の気持ちをおさえようとしているのだから、僕のほうも折衷をつけて、お互いさまにしようよ。」

といって、お互いに寄り合おうとしました。

そしてターちゃん、涙をグッと拭い、
「うん。」
といって、一枚ずつ取ると、残りは僕に返してくれました。

自分の気持ちと、こちらの気持ちを一生懸命に考えたターちゃんでした。


翌日、お母さんからも素敵なメールをいただきましたので、少しだけ紹介します。

>昨日は大変お世話になりました。
>私は、ごまかして「なくなっちゃったねぇ。おうちにもあるよ。」で帰ろうとしました。
>が、ひでちゃんが一人前に扱い、じっくり話してくださりました。
>そして、折衷案に納得することができました。
>イヤイヤ期真最中の息子に一つ一つじっくり話して納得させることを怠っていたと反省>しました。
>一人前に扱うことって大事だなと改めて思います。
>彼を理解しようと目を見て正面から 話してくれる大人がいることはターにとって幸>せなことだと思います。
>そしてみなさんや、友だちといる場が心のよりどころの1つになったら嬉しいです。
>ターの世界が広がっていくのですね。
>これからもターがいろいろ我を出すと思いますが、よろしくお願いします。

ママも一生懸命。素敵です。

*****

子ども達の育つ環境を考えた時に、

例えば、子どもは何でもみさかいなく使うから、必要分しか与えない・見せないほうがいいとか、

例えば、AさんとBさんは相性が悪いから、クラスやグループを離せばいいとか、

そういうことを当然のように考える人も少なくありませんが、
大人目線でみて、それぞれの葛藤や、試行錯誤、他人との衝突やトラブルを回避することは、
はたして子ども達が育つ環境を作っていることなのでしょうか。

僕はそうは思いません。

今日、何かの課題を上手にできたかどうか、
今日、誰ともケンカをせずにみんなで仲良くいられたかどうか、

はたまた
保育園or幼稚園のうちに何かができたかどうか、
小学校or中学校のうちに何かができたかどうか、

などなど、大人はつい、
大人の決めた時間、大人自身がかかわっている時間で、
目の前の子どもにゴールを、結果を求めがちですが。

でも、それは子どもの育つ時間という視点からみると、
なんてことないことなのかもしれません。

だって、例えば園を卒園する3月と小学校に入学する四月というのは、先月と今月の違いでしかなく、

もっといえば、学年なんていうのも、3月31日と4月1日、昨日と今日くらいの違いでしかないわけで。
(もちろん、卒園や進級という節目の魅力、ドキドキやワクワクの気持ちはいっぱいあるでしょうが)
それを

「もう年長さんなんだから。」
とか
「もう小学生なんだから。」
と子ども達にいうのは、少し変な感覚だと思います。

大人時間で、子どもの育ちを捉えるのではなく、
もっともっと大人になるまでの広い視野で、子ども達のペースで育ちを捉えてみたら、
親も、保育者も、教育者も、
目の前でおきる子どもの色々な育ちに対してもっと気楽に、穏やかに、どーんと構えていられるように思います。

たっぷり泣いて、迷って、ぶつかって、葛藤して、ゆっくりゆっくり大きくなってもらいたいものです。

「そうはわかっていても親は大変なのよ~。」
というママ・パパ達の気持ちも、めいっぱい想像しながら、
僕も楽しく応援できるようがんばりたいと思います。

参加してくれたみなさん、ありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2014-11-25 00:16 | 親子のWS | Comments(0)

「子育ての話ではなく、育てられた子の話」

今日は、新たなフィールドからのご報告です。
埼玉県は熊谷にある産院、さめじまボンディングクリニックさんのパワフルマミーの会と、行田のよっぴーママの会(仮)にて講演させていただきました。
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僕が色々な親子との出会いを通して整理した親子の遊びのこと、今の子どもの環境のこと(例えば、子育て中のスマホや、今のおもちゃについて気にしておきたいことなど)、そして僕が魅せてもらった子ども達の魅力などお話しさせてもらいました。


子育てサロンなどは、親子にとってお友達と交流できたり、親子ともにリラックスできる場所としての良い面もたくさんありますが、
その一方では内心、歳の近い子同士の集まりなので、ついついわが子と他の子を比べて、一喜一憂してしまうということもあるようです。

そこで、僕からはわが子を比べない子育ての視点というのを話させてもらいました。

*****

僕自身は子育てをしていないのに、なぜ子育ての話をさせてもらうのか。
そのただ一つの根拠は、自分が育ててもらったからなのだと思います。

*****

子ども時代
母は僕が毎日作るから、毎日部屋に増えていくガラクタ工作を見ても、
「好きねぇ。」
といって僕が飽きるまでそれらを片づけないでいてくれました。


高校時代
学校のテストの正しい受け方とは、
自分の現状(当時はラグビー部に入り、部活のために学校にいっていたので授業はほとんど聞いておらず、わかりませんでした。)が正確に先生たちに伝わることだ、そうでないと、自分が本当に勉強しようと思ったときに自分の理解度を誤解されてしまう、という理屈(屁理屈?)のもと、まったく勉強をせず学年ビリ(特に英語)をとり続けていた時も、
「なるほど。そういう考えがあるのね。」
と言って面白がってくれていました。


大学四年生の就活時期
僕が就職をせずに、自分でこの仕事を作ると話した時も、
「自分がそう思ったなら、やってみればいい。」
といってくれました。

****

浪人生時代、第一志望の不合格発表の帰り道に、僕は母に電話でこんな報告をしました。

「~大学、落ちちゃったよ。でも縁がなかったということで、受かった大学でがんばるよ。
そして、その大学で一番面白い大学生になる。」

今思いかえすと、いいのか悪いのか切り替えが早すぎますし、
そもそも「一番ってなんだ?そんなのないぞ。」と突っ込みを入れたいとこなのですが、、笑

その時も
「そうね。」
と笑って聞いてくれていました。

それから三年後、大学四年生の時のことです。

僕は、ワークショップを仕事にできないかと模索して仲間達と活動をしながら、
同時に、地域の中で「近所迷惑な大学生」という評判も少なくなかった僕たち学生が地域と楽しいつながりがもてないかと、交流をコンセプトにパレードを学園祭で企画しました。

企画内容は単純なもので。
地域の子ども達がワークショップで作ったみこしで学内や学校周辺を練り歩いたり、
その子ども達を先頭にして、学生や地域のサークルのおじちゃん・おばちゃん達のグループを作って、パレード。最後は、地元の盆おどりやフォークダンスをごちゃまぜにして楽しむというものでした。
企画はおかげさまで成功に終わり、総勢400人もの子どもに若者、おじちゃん・おばちゃん、じいちゃんばあちゃんが集まってパレードを楽しんでくれていました。
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その日の夜、パレードを見に来ていた母から電話がかかってきました。

「今日はおつかれさま。大学に入る時、お母さんにいったこと覚えてる?」

なんだっけと思い出そうとする僕に、母は続けました。

「今日のあなたは、あの大学で一番面白い大学生だったとお母さんは思うよ。」

親バカなのでしょうが、こんな母でした。

*****

僕はまだ子育てを経験していません。
だけど、育ててもらった経験はあります。

僕には得意なこともあれば、不得意なこともありますし、
むしろそっちのほうが多いのですが、
それでも僕は、こういう自分がけっこう好きです。
幸せの定義は人それぞれでしょうが、僕はなかなか幸せです。
こうして言葉にして書いてしまうとなんとも恥ずかしいことですが、

自分のものさしで、今を幸せに感じること。
自分を自分で好きだと思えること。
自分を自分で信じられること。
つまり自信。

その土台をつくってくれたのは、
僕を面白がり続けてくれた、信じ続けてくれた母の存在なのだと思います。

なので、子育ては僕にはまだわかりませんが、かわりに、育ててもらった子の一例を紹介させてもらいました。

****

参加してくれたママさんたちへ

きっと子ども達はこれからたくさんの出会いと環境の中で、
嬉しいことや楽しいこともあれば、辛いことや落ち込むこと、時には理不尽なことも、色々あるでしょう。
だけどそれらを親がどうこうすることはほとんどできないし、
もしかしたらしなくていいことでもあるのかもしれません。
本人にとって何がプラスで何がマイナスかなんて、他人が決めるられものではないですもんね。

だけど、親にできる一つとして。

信じる。

というのがあるのは確かだと思います。
信じるというのは、例えばわが子が

どんなことができても、できなくても、
何かが誰かより早くても、遅くても、

そんなこと一切関係なく、
「好きよ。」
と、思ってくれること。

自分を丸ごと信じてくれる存在は、いくつになっても百人力です。

参加してくれた皆さん、そして企画してくれた役員の皆さん、まなみママ、あきママどうもありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2014-11-11 18:02 | 研修会・講演 | Comments(0)

「何もしないをすることと、常識を疑うこと」

こんにちは。
今日のリポートは、先日行われました、越谷にあります保育者養成校、埼玉東萌短期大学の学園祭にゲスト講師で呼んでいただきましたので、その様子から。

今回のお仕事の内容はというと、学生たちが学園祭内で企画する子育てカフェ&ワークショップにて、子どもたちが作って遊んでいる様子を見ながら、親や学生に向けてライブで解説トークをするという、文字通りトークライブ。
それと、イベント終了後には、企画と学生の振り返りに対する講義という二本立てでさせていただきました。
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今回のワークショップで、僕が学生たちに事前に伝えていたことは、「基本的に子どもに対してこちら(大人)から直接働きかけないようにしよう。」ということでした。

つまり、
子ども達が色々な素材を前に、どんなこと考え、どんなものを作り出すのか。
試行錯誤や失敗も含めて、ありのままの子ども達の姿を見る機会にしようということです。

というのも、もちろん保育現場では、子どもたちが保育者との関わりによって、いっそうの力を発揮できるという状況はいくつもあるでしょう。

しかし、それにはまず子ども達が、それぞれ1人だとどんなことをするのか、どんな力をもっているのかを知ろうとする姿勢をもっていなくてはならないのだと思います。

そうでないと、子ども達それぞれの反応によって、その都度どんな関わりがプラスになり、どんな働きかけは余計かということが見えてきませんから。

(大人のよかれという思いから、「子どものために教えてあげなくちゃ。」「導いてあげなくちゃ。」という形で、子どもの自身の発見や学びを奪うことは少なくありません。)

なので、まずは、集まってきた子ども達それぞれが一人一人の興味関心、年齢や経験、知識をふまえた発想によってどんなことするのか、そこだけに注目することから始めました。


結果はというと、見事に子ども達は魅せてくれました。

たとえば、今回の材料に色紙があったのですが、学生達と「色紙の使い方をあれこれ教えなくて良い」という風に話していたところ、子ども達の中には自然と、色紙を折って角や辺を作ったりしながら工夫して使うということをやっている子が何人もいました。

学生達からも、子ども達の力を実感して、イメージが変わったという嬉しい感想がでていました。

******

もうひとつ、僕から学生たちに伝えたことは、「保育の常識を疑え」ということでした。
例えば、

・なぜ相手が子どもとなると、元気に明るく大きな声で親しそうに話そうとするのか

・なぜ保育園というと、薄いピンクや黄色のエプロンをする人が多いのか(少なくなっているかもしれないけど)

・なぜ子ども達に関わらないと、保育者は何もしていないように思うのか

・子どもの安全管理、トラブル対策とは、何でもかんでも危険やトラブルとなる要因をなくすことなのか

・子どもとはかわいくて、未熟な存在なのか

などなど保育現場の色々なステレオタイプについて、自分でよく考えてみようという話。

僕の考えはというと、

→子どもに対して静かに話しかけることもあれば、丁寧に話しかけることもあれば、遠慮して話しかけないということもあります。

→薄い色のエプロンの必然性はわかりません。僕は、動きやすくて、本人が汚れによって子どもとの関わりを制限されなければどんな服装でもいいのではと思います。もちろんエプロンだって。

→子どもに直接かかわっていないと何もしていないように思うのは、子どもの様々な姿に対する見方、視点、視野をもっていないからだと思います。

→安全管理とはその活動自体や要因をとりのぞくことだけではなく、細かく危険度を理解したり、適切な対応ができるように準備しておくことだと思います。

→子どもはかわいい面もあるのでしょうが、自分が出会う、この世界のあらゆるものに対して真剣に向き合おうとする姿勢、自分なりの道理を組み立てようとする姿勢は、未熟で導いてあげる存在などとは思えません。

といったことを考えています。
だから、常識は間違っているとか、僕が正しいとかそうことを言いたいのではなくて、

大切なのは、
保育者一人ひとりがそれぞれに、何事も自分でちゃんと考えること、
そしてそれを目の前の子どもと照らし合わせて、その都度、答えを探し続けていくということなのだと思います。

こんな話をさせてもらいました。

未来の仲間達のみなさん。
いつも考え続け、学び続け、目の前の子ども達と向き合い続ける保育者になっていってくださいね。
お互いがんばりましょう♪

埼玉東萌短期大学のみなさん、参加してくれたみなさん、そして前嶋先生、ありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2014-11-04 23:43 | 研修会・講演 | Comments(0)

「子どもの日常の何気ないことに対する大人の感度」

僕は、ふだん造形遊びを中心に子ども達と関わらせてもらっていますが、
自分が子ども達とワークショップをやっていない時に、園の子ども達の日常を見せてもらう時間もすごく好きで、子ども達の魅力的な姿を見させてもらっています。
今日はそんな、保育園の何気ない日常の光景からリポートを。

先日、来年度新たに担当する保育雑誌でワークショップの協力をしてもらう、陽だまり保育園さんに打ち合わせに行ったときのことです。

僕が言ったのはちょうど、お昼寝時間の後半あたり。
園長先生との話が盛り上がっていると、子ども達が起きて、部屋からでてきました。
(打ち合わせをしているテーブルからは、子ども達の部屋の様子が見えるんです。)
その時の子ども達の動きは色々でした。
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例えば、
良い夢がみれたのか、もう少し眠たい様子でゆっくりと布団をかたずける子もいれば、
楽しみなおやつをとりにいこうと、いきおいよく給食室に向かう子もいます。

僕に気付いて「ひでちゃん!きてたの?」と声をかけてくる子もいれば、
初対面の僕に「何だこの人は?」といった表情で少し緊張しながら近づいてくる子もいます。

あとは、何をするでもなく、目線をあちらこちら、足取りもあっちこっち、という子ども達が何人も。
この姿がまたすごく魅力的なんですね。
マイペースで自由な目線の動きと、
このあとの遊びの計画を、体全身で考えているような足どり。

こうした姿からは、子ども達が「自分の時間をいかにして過ごそうか」と、自ら考え、動き出す、イキイキした力をもっているかということが伝わってくるように思います。

と同時に、子ども達がこんな風にいられるということは、
この場所が、そしてこの時間が、普段どれだけ一人一人のペースや主体性を守られているかということでもあるのでしょう。

そして、こののんびりした空間ができるために、欠かせないことはもう一つあるように思います。
それは、保育士のみんなが、心穏やかであるということ。

子ども達のそれぞれのペースに対して、焦ることなくにこやかな先生たち。
この存在が子ども達にもたらすのは、大きな安心なのでしょう。
お昼寝から起きてくるほんの一場面の様子ですが、

この、子ども達が自ら考え、動きだすときの、イキイキしとした姿
そして、そんなイキイキした表情に欠かせない、安心の存在からは、
子どもの育ちにとって大切なこと、そして僕自身がワークショップの中で大切にしたいことをあらためて確認させてもらいました。

今から子ども達とのワークショップが楽しみです。
陽だまり保育園のみなさん、ありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2014-11-01 21:34 | コラム・エッセイ | Comments(0)