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DONUT WORKSHOP REPORT

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「つながるこころ」

みなさんこんにちは!
さて今日は、先日おこなった月一回のお楽しみ、ララガーデン川口さんでの親子工作ワークショップの様子からリポートしたいと思います。

今回は紙袋を使って、どうぶつてぶくろを作りました。
袋に手を入れ、口をパクパク。すると色々な動物が見えてきます。
思い思いのどうぶつ・モンスターを作って遊びましたよ。
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そしてこの一年、ララガーデンさんでのワークショップで特に注目しているのが、
このイベントを通して新たに生まれる人とのつながりやコミュニティについてです。
毎月の開催を楽しみにしてくれる、常連さんとなった子ども達と少しずつ関係ができていく中で、彼ら・彼女らが魅せてくれる真心には、たくさんの喜びと学びをいただきます。
今日はそんな子ども達の素敵な心をおすそわけしますね。


おみやげ
まずは参加が三回目となる女の子のことです。
先月はきていなかったので、二か月ぶりに会いました。
すると、
「ひでちゃん、ひさしぶり♪」
右手をあげて、ニコリとあいさつをしてくれました。
その挨拶だけでも十分嬉しかったのに、こう続けます。

「ねぇ、手~だして。おみやげもってきたんだよ。」

僕が手をだすと、ポンっと手のひらにのせてくれたのはこれ。
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飴玉です。
とても小さな飴玉ですが、
彼女が家で、出発の支度をしているときに、
「あ、ひとつおみやげを持っていこう。」
なんて思って、お家にあった飴の袋から一粒だしてポケットにしまっている姿を想像すると、とても大きな気持ちがつまっているようで、その気持ちがなによりのおみやげでした。


名前
「ひできくん!」
僕の名前は「ひでひと」なのですが、そう呼んでくれる男の子がいます。
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最初呼ばれたときは、
「ひでひとだよ。」
と、一瞬訂正しようかとも思ったのですが、
「ひできくん」と呼ぶ時の彼の調子が、僕も気に入ってしまったので、そのまま「ひできくん」と呼ばれることにしました。
というのも、

今日は何を作って遊ぶの?
いつも楽しみにしてるんだぜ。
めちゃくちゃ楽しかったよ。
もっと遊びたいね。
ありがとう。

そういう気持ち全部が、このたった一言、
「ひできくん」
って、名前を呼ぶことに込められている感じがするんですね。
それくらい、声の大きさも、つよさも、はりも耳心地よい響きなのでした。
お母さんに話を聞くと、毎月カレンダーに印をつけて楽しみにしてくれているそうで、嬉しいものです。

名前を呼ぶって、それだけで、ものすごく気持ちが伝わるんだなぁと、気づかせてもらいました。


お手伝い
三つ目も常連さんできてくれる、また別の男の子の話です。
参加したての頃は、ひげ兄ちゃんの僕にだいぶ緊張していたのですが、
最近では完成した作品を笑顔で見せにきてくれるようになりました。

そんな彼が、今回のイベント終了後、ふと見ると、自分のスペースのゴミ拾いだけではなく、会場の片づけ(会場の各所に設置してあるセロテープとクレヨン、はさみを集める)をはじめたのです。
僕も、彼のお母さんも、「しよう」とは言っていません。

でも、僕がひとあし先に一台集めていたところを見たのか、
あるいは以前に片づけているところを見ていたからなのか、

両手で抱えてやっと持てるくらいの、彼にとっては重たいテープカッターを、一生懸命に集めてくれるのでした。
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その姿を見てお母さんも
「家で片付けしてるところなんてまだ見たことないのに。」
と、嬉しそうに言っていました。

こうした遊びのワークショップを実践していると、
「子どもに好きなように遊ばせてばかりいてはだめだ。片づけもさせないと。」
という言い方を聞くこともありますが、そうしてやるのはあくまで強制された片づけです。
でも、彼の片づけはそうではありません。

自分の気持ちが満たされていく中では、
「楽しく遊んだから、片づけもやろう。」とか
「楽しかったから、お礼に手伝おう。」とか
言葉にしなくともそういう心が生まれていて。
そうやって自分なりの理由を見つけたら、片づけだってやるんですね。

子ども達自身が主体をもっている自由の中で、ものごとを判断する基準は、ただ「自分が楽しければいい」という自分勝手なものではないことがよく伝わってきました。

****

ということで、今回参加してくれた三人の子ども達の素敵な場面を紹介させてもらいました。

子ども達の豊かな心を信じる。

言葉にしてしまうとなんともつきなみになってしまいますが、あらためて、僕はそういう子ども達の心や、自ら育つ力を信じたいし、信じた上で、いつでも、どこでも、丁寧に出会っていきたいと思いました。

毎月呼んでくださるララガーデン川口さん、そして来てくださったみなさん、
ありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2014-01-24 21:37 | イベントなどのWS | Comments(0)

「集中についての誤解」

集中する時間の長さが集中力ではない
教育や保育の現場に関わっていると、
「子どもの集中力を育てる。」
という言い方を聞くことは少なくありません。
また、より小さな子どものほうが、集中力が少ないと思われがちです。

しかし、これって「集中」を誤解して捉えているような気がします。

たしかに集中している「時間」というのは年齢が上がっていくほど長くなる傾向はあるでしょう。でも、その時間の長さというのは、集中力のあるなしとは違うように思います。今日はそのことについて。


集中の中身
そもそも、集中とはどういう状態なのか。
例えば子どもが集中して絵を描いているところを思い浮かべて考えてみます。

集中して絵を描いている。
それは言い換えれば、他のことに興味や関心がいかず、それに専念している状態ということでしょう。

では、なぜ他のことに興味がいかないのか。
それは他に興味がいかないくらい、絵を描いているのが面白いからです。

ではなぜ面白いのか。
理由は人によって違うでしょうが、いくつかあげてみると、

筆の感触が良くて、いくらやっても飽きないほどに面白い。
自分の思ったことを絵にできることが面白い。
思ったように描けなくて、でも描くほどイメージに近づいていくのが面白い。
一つ何かを描いたら、そこから新たに描きたいアイデアが浮かんできて、その想像の広がりが面白い。
などがあると思います。

具体的にいうと例えば、一つのりんご絵を描いたあと、
他の果物も浮かんで、隣にみかん、いちご、という風に描いていく。
すると、今度はその並んでいる様子がお店屋さんに見えて、看板をかいて果物屋さんにする。

あるいは、一つのりんごを描いたあと、
もっと自分の納得のいくりんごが描きたいと思ったり、筆の感触をもっと楽しみたいと思って、さらに二個目のりんごを描く。

あるいは、一つのりんごを描いたあと、
それをはさみで切って、お友達にあげる。そしてまた新しいりんごを描いて、切って、別の友達にあげる、という展開。

こんな風に想像と表現がひろがって、面白さが継続しているときは、
集中の状態は続いているといえるでしょう。
(多くの人が、年齢が上がるにつれ集中する時間が長くなるのも、知識や経験が増え、面白さを広げる素材が多いということで考えると、しっくりきます。)

反対にいえば、
集中していない状態というのは、
=他に興味がいったり、飽きてしまった状態、
=面白いと思えない状態ということです。

では、面白く思えないのはなぜか。
これには大きくわけて三つあるように思います。

一つ目は単純に、その人の好みに合わなかったときです。
好みに合わなくて、面白いと思えなければ、もちろん集中なんてできません。

もう一つも単純で、疲れているときというのもあると思います。
どんなに面白くても、疲れれば集中が切れるのも自然なことです。

この二つは特に問題はないですよね。
(それでも無理をしてやっている(親や先生に怒られたくないといった理由で)としたら
その力は、集中する力ではなく、自分のやりたくない気持ちをおさえて、我慢する力といえるでしょう。)

そして、今回ポイントにしたいのが、最後の一つです。
それは面白いときの理由の反対。

面白さを、さらに自分で工夫を見つけて掘り下げたり、そこから新たな展開を想像できなかったからです。

では想像できない理由はなぜか。
これには二つあると考えます。

一つは、新しい想像や工夫のアイデアを生み出す源となる経験や知識といった引き出しが少ないから。
もう一つは、自分の判断で勝手に発展させてはいけないと思いこんでいるから。

という二つです。
なので、このような場面での大人の関わりを考えると、
前者の場合は、
近くにいる大人(親や保育士など)がほんの少し発展のきっかけを提案したり、
一緒にさらなる想像を膨らませたり、
あるいは他の友達のアイデアから刺激を受けることで、
その子の面白さは続いていくように思います。

後者の場合は、
普段の行動・活動で制止ばかりされていると、アイデアは浮かんでいても、「それを勝手にやったら怒られてしまうかも」と躊躇しているときがありますので、
まずは「思い浮かんだら、やってもいいんだ。(否定されないんだ)」という安心の関係を作ることが、結果的に、その子の活動の展開につながっていくように思います。

これが、僕が子ども達と関わってきて考える、「集中」の中身です。
どうでしょうか。
ここまで整理すると、子ども達が集中しない状態というのは、集中力がないからではなく、別に理由があるということが見てもらえるのではないかと思います。


集中しないことと集中力がないことは違う
今回、僕が集中について整理することで、何を伝えたかったのかというと、

「集中しない」というのは集中力がないからではない

ということです。
子どもだから集中力がないわけでなく、
その都度一人一人自分の今の育ち(知識や経験)の素直なリアクションとして、
集中したり、しなかったりしているだけなんだと思います。

そのことを
「小さいから集中する力が足りない」
と誤解して関わろうとすると、そこで育てているのは、集中の感覚とはほど遠い、
たとえ自分がつまらなくても我慢してこなす、忍耐力のように思います。

集中しない子に対する、保育士や教師の理想の関わりはきっとそういうことではありません。先ほど書いたように、

集中しない子に対して、その子の正直な反応を受け止め、
その子が自ら活動を工夫して発展させていける土台として、
今後どんなきっかけや、経験、環境を提案していけるかということを考える視点が大切なのだと思います。

子ども達の様子に対して、
「集中力が育つ・育っていない」という大雑把な視点で、自分たちの環境づくりのいたらなさを責任転嫁していることってないでしょうか。


主体性をもたなくなるのはなぜか
前回のテーマであった「主体性」。
小さな頃は誰もがもっているこの誠実な態度が、
いつ、どうのように薄まっていくのだろうということを考えていたら、
今回とりあげた教育・保育現場でもたれている「集中の誤解」ということも、つながっているような気がしました。

子ども達は集中力を持っています。

(以前このブログでも、一時間半ひたすら絵の具で遊び続けていた2歳の女の子を紹介しましたので、よかったらこちら「子どもたちの虚像と実像」もどうぞ。)
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by doughnut-official | 2014-01-16 17:39 | コラム・エッセイ | Comments(0)

「遊びと仕事」

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さて新年第一弾は、
母校である文教大学にて「遊びと自然」の授業にゲスト講師で呼んでいただきました。
遊びを軸にして、学校教育や今の子どもの環境、そして大学生の学びへの姿勢、就職活動のことなど幅広く話させていただきました。
今日はその中からリポートしたいと思います。

遊びの性質
まずは、そもそも「遊び」って何なのか。
これを整理していくことからはじめました。

「遊び」というと、「鬼ごっこ」や「ゲーム」といった具体的な内容を思い浮かべやすいですが、実は、遊びの一番のポイントは、
それを本人がやりたいと思っているかどうか、つまり、主体性があるかどうかなんだと思います。

もっと簡単にいえばそれを「好き」かどうかということ。
(好きというのは、面白い、楽しい、やりがいを感じる、充実を得る、そういう色々な気持ち)

例えば「絵を描く」ことは、絵を描くことが好きな人からすれば遊びともいえますが、好きじゃない人からすれば遊びとはいえませんよね。

こんな風に、本人が「やりたい」と思えることを「遊び」のはじまりと整理しました。
(遊びについてのリポートはこちらの記事もどうぞ「遊びを考える」


「遊び」と「仕事」は対義語か?
学生さん達と遊びを考えていく中で、もう一つ見えてくるものがありました。
それは「仕事」についての捉え方。
学生さん達の反応をみていると「遊び」と「仕事」というのを次のような対の意味で考えている人が多いようでした。

「遊び」は自分の好きなこと・やりたいこと
「仕事」は大変だけどやらなきゃいけないこと・お金をもらうためのこと

しかし、もともとの仕事の意味は
「お金をもらうために我慢してやること」
ではありません。

「自分の何らかの行いに対して、相手(本人、家族、組織など)からありがとうと思われた時に、その形としてお金(など)を得られる」

これが仕事。

もちろん仕事は相手がいることですから、遊びとは違う責任が生まれたり、すべてが遊びと同様自分の思い通りとはいかない面もありますが、
それでも、
好きで、面白くて、それでいて相手も喜んでくれて、対価を得られるという仕事は成り立つというのが僕の実感です。
でも、学生さん達の認識はそこがずれていました。

では、多くの学生さん達に持っていた
「遊び」は主体性をもった活動
「仕事」は主体性をもった活動ではない
というイメージ、特に仕事は主体性をもっていないというイメージはなぜ生まれたのでしょうか?

それを考えると、この仕事のイメージにすごく似ているものが、
学校の子どもたち、そして大学生たちの中に見えてきます。

それが
「学び」です。

「学び」から主体性が失われ「勉強」になった
学びとは、本来主体的な活動です。
しかし、学校というシステムの中では、先生の提案・サポートの仕方によって子ども達が「やってみたい」と思える「学び」にもなるし、子ども達が「やらなければいけないこと」と思わされる「勉強」にもなります。

学校教育には前者のような魅力的な先生・学びとの出会いもたくさんあるけれど、
一方では、自分の教師としての力不足をたなにあげて、
「子どものあなたにとってこれは必要だから我慢してやりなさい。」
と強制する先生・勉強との出会いも少なくなく、
そうなると、そこに主体性は生まれません。
(むしろ主体性を持つと怒られてしまったりしますし。)
だから主体性をもって自分で判断するスイッチを切ります。
そして、主体性を持たず、ただただ授業を受けることに慣れていくうちに、今度は本当に自分が主体的に興味・関心があることさえ、わからなくなってしまう
こんな流れがあるのではないでしょうか。

この「遊び」に対する「学び」のイメージと、「遊び」に対する「仕事」のイメージは非常に似ています。
主体性が失われた学び、そして仕事です。

と、このように学生さん達と遊びを考えていく中でみえてきた、授業のポイントは、

「自らの主体性を取り戻す。」

ということだったように思います。

自分は今、何が好きなんだろう。
何をすることに嬉しさや喜び、楽しみを感じているんだろう。

そんな単純なことをもう一度自身に問いかけて、
遊びの中で見えてくる、小さな実感の一つ一つを大切にしていってもらえたらと思います。
そして、その遊びの中で感じたワクワクする感覚を、主体性を、
今度は学びの中や仕事の中にも求めていってもらえたらと思います。


「卒業したら、学生時代よりももっともっと面白くなりそうだ!!」

と自分たちの未来への期待に胸を躍らせたくなるような、
そんなエールが少しでも送れていたら嬉しいです。

青山先生、学生の皆さん、ありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2014-01-11 16:55 | 研修会・講演 | Comments(4)

新年のご挨拶

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新年あけましておめでとうございます(^^)

昨年は直接お会いしたみなさんも、
こちらのリポートを読んでくださったみなさんも、
本当にお世話になりました。

2013年は、おかげさまで素晴らしい一年となりました。
ワークショップ・講座ではたくさんの出会いと再会に恵まれ、
初の四国進出、香川県と愛媛県にも行かせていただきましたし。
またワークショップの内容を雑誌という形で、メイトさんからでている保育マガジン「ひろば」にて、三回に渡り紹介させていただきました。
さらに、こころねさん、つるた保育園さん、ララガーデン川口さん、そしてフリースクールりんごの木さんでは、一年間の定期的なワークショップを通して、子ども、親、そしてコミュニティが育つ姿というのをじっくりと見させていただきました。

ワークショップや研修での出会い、
そしてこのブログでの出会い、
その一つ一つがたくさんの学びと気づきをくださいました。
ありがとうございます。

2014年もワークショップやこのブログをはじめ色々な形で、
地域に根差しながら、同時に遠方をものともせず、
皆様にワクワクやホカホカをお届けしていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

矢生秀仁
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by doughnut-official | 2014-01-08 21:35 | NEWS | Comments(1)