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DONUT WORKSHOP REPORT

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[お母さんの正直な気持ち」

先日このブログで紹介させてもらったりーちゃん(2歳)のお母さんから嬉しいメッセージをいただきました。
そこにはお母さんのわが子への思いと、そして日々悩みや葛藤も持ちながらがんばっていらっしゃる親の姿がとてもあらわれていました。
そこで、こういう生の声にはきっと、このブログを読んでくださっているどこかのお母さんにも共感やエールになるのでは思い、掲載させてもらうことにしました。
りーちゃんママ、快諾してくださりありがとうございます。

ということで、ご紹介したいと思います。

***

その節は素敵な時間をありがとうございました。
とても楽しかったらしく、娘は何度もひでさんの話をしています。
今日はお絵かきの先生いるの?といつも聞いてきます。
充実した時間だったんですね。

ひでさんのブログ、拝見しました。
ひでさんが書かれていたような「寄り添う」ことができているかどうか怪しいところですが、あんなふうに感じてくださってとてもうれしいです。

毎日色々なことに挑戦する娘を、ヒヤヒヤしたり、ちょっと面倒だなと思ったりしながら
後押ししていることが間違っていなかったのかなあと、ただただうれしい限りです。
やりたいことをなんでもやらせているとワガママになると言われたこともありますが、
私は子供のうちくらいはやりたいようにやればいいと考えています。
そんな密かな自分の考えを後押しして頂いたような気がして、
本当にありがたい気持ちでいっぱいです。

* * *

ただ、あの時は気持ちに余裕があったのでわたしのいい面をみていただいたのですが、
実際はそんな上出来な親ではありませんよ…
どの子もそうだと思いますが、生まれつき悪い子など存在せず、
周りの大人が自分の都合で扱いやすい子をいい子、面倒でてがかかる子を悪い子というふうに接してしまい、結果、そういう方向に成長してしまうんだと思っています。

ですから自分の都合とは関係なく、どんなことでも受け止めてあげたい、という希望を持ちつつも、こちらに余裕がない時は、つい大きな声で怒ったりしてしまい自己嫌悪に陥ることもしばしばです。

子育てをしていると、自分の器の小ささが嫌という程身に染みます。
私ができた人間なら、この子達はもっと素晴らしい成長を遂げられるかもしれないのにな、と。
でも、完璧な親はいないしな~と逃げつつ子育てしているので、
今回のように第三者の視点、しかもプロの方からお声がけをいただけて
少しだけ自信が持てそうです。

本当にありがとうございました。
これからもブログ、読ませていただきますね^_^
そしてまたお目にかかれる日を楽しみにしています。

***

ママの真っ直ぐな気持ちが伝わってきますよね。
悩みながら、一生懸命。
素敵なママだなぁと思います。
そしてきっと、親っていうのは、多くの人がこんな気持ちなのでしょうね。
すごいことです。

りーちゃんママの言うとおりだと思います。
完璧な親なんていませんし、完璧な先生だって、完璧な大人だっていません。
僕もデコボコだらけです。

だからって、完璧なふりなんてしなくていいし。
無理して完璧になろうともしなくていい。
僕はそう思います。

そのかわりに、親も、家族も、園や学校も、地域も、それぞれが完璧じゃないことを素直に受け入れて、みんなで力をあわせていけばいい。
そしたら、誰がいっそう豊かな時間を過ごせるかって、それはもちろん、子どもたち。
一人の、一つの完璧な支えよりも、ずっとずっと、出会いと世界が広がっている。

完璧じゃないからこそだと思います。

親Aさん、Bさん、保育士Aさん、Bさん、学校の先生Aさん,Bさん、地域のAさん、Bさんetc
人が違えば、みなそれぞれ、子育てや保育・教育に対する細かな考え方や方法にはたくさんの違いがあるのでしょう。だけど、

子ども達が幸せに育ってほしい

ということだけは、きっとどの大人も一緒です。

それならその思い、ただ一つを根っこにして、
それぞれが、完璧じゃないことを受け入れて、穏やかにつながれたら、
どんなに優しい場所や時間が生まれるのでしょうね。
考えただけでも、ワクワクしてきます。

そして。
じゃあそのつながりをどうやってはじめるのかっていったら、それは
りーちゃんママのメッセージ。

「わたし、完璧じゃないのよね。」

って素直に言っちゃうことなんだと思います。

「私も。」「僕も。」「私たちもです。」

なんて言いながら、力をあわせていけたらいいなぁ。

りーちゃん、りーちゃんママ、親子そろって素敵な気づきを本当にありがとうございます(*^^*)
またいつだって応援にいきますからね♪
絵の具や工作の道具をいーっぱい持って。
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by doughnut-official | 2013-10-31 18:01 | コラム・エッセイ | Comments(2)

「再会できる場所」

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さて、今回は毎月恒例となります、ララガーデンさんでの親子工作ワークショップの模様から。ハロウィンが近いということで、みんなにはお化けに変身してもらいましたよ。
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そこで、今日は嬉しい再会が二つもありました。
一つは以前ここでも紹介した、少年野球をはじめたため、今後は雨のときしか来れない
と話していたAくんです。

会場を準備していると、
「ひでちゃん!!」
聞きなれた声に呼ばれ顔をあげると、目の前にはA君とママさんの姿が。
「あれ!?今日これたの!!野球は?」
僕が聞くと、
「今日は試合だったんだ!午前中で終わったから急いできた!」
とA君。
「お昼ごはん食べてから、二回目でくるね。」(ここでのワークショップは一日二回開催)
聞けばお昼も食べずに、まずは会場へとかけつけてくれたそうです。
奥を見ると、少し離れた柱のところからパパさんもニッコリと微笑み挨拶をしてくれました。

A君にはもうなかなか会えないだろうと思っていたので、こんなにも早く会えたことが嬉しくて。
野球をはじめても、この時間を好きで遊びにきてくれることが嬉しくて。
そして、そんなA君の思いを叶えてくれるママさんとパパさんが素敵で。

僕はワークショップのはじまる前から胸いっぱい、幸せな気持ちにさせてもらいました。
A君、今日もありがとう。

**************

そして、もう一つの再会はBちゃんです。
Bちゃんは僕が夏にやっている親子キャンプに参加している小学生の女の子です。
そんなBちゃん彼女が住んでいるのはなんと茨城県。電車とバスを乗り継ぎ、ここまで来るのに二時間もかかったそうです。

そんな道のりだったにも関わらず、ワークショップのあとBちゃんが言いました。

「来月来るときはね、一回目でみんなが何を作ってるか、外から様子をみて、
そのあと自分の中でアイデアを考えて、二回目で参加しようと思う!」

来月も来る気満々でいてくれるのでした。
もちろんその隣にも、その思いを受け止めてくれるママさんの存在がありました。

Bちゃん、来てくれてありがとう。
来月も楽しみにしていてね。

******

AくんやBちゃんの他にも、ここには毎月楽しみに来てくれている親子さんがたくさんいて、そうすると顔が見れるだけで、嬉しい気持ちにさせてもらいます。
ワクワクを届けるのが僕の仕事なのですが、僕もいっぱいワクワクをいただいています。
参加してくれた皆さん、そしていつもご依頼くださるララガーデンさん、今回も本当にありがとうございました(*^^*)

大型の商業施設が、「はじめまして」といって出会い、「またね」といって別れられる、
そして「久しぶり」といって再会できる場所になる。
こうして振り返ってみると、この感覚はなんとも不思議で、でも、それでいて自然です。
地域のコミュニティ力の低下は様々な視点からいわれますが、どんな場所にもまだまだ可能性はたくさんあるのでしょう。
僕自身、これからも一つ一つの出会い、一つ一つの企画と丁寧に向き合いながら、模索していきたいと思います。
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by doughnut-official | 2013-10-29 18:13 | コラム・エッセイ | Comments(2)

「放課後の価値と地域の大人の役割」

こんにちは。今日は今月はじめに文教大学で行われた
「子ども×地域×若者フォーラム」からリポートしたいと思います。

ゲスト講師は僕を含め四名。
越谷市で障がい者の余暇支援をしているダンデライオン代表中村さん。
草加市で児童発達支援・放課後等デイサービスをされているNPOひこうせん代表油科さん。
そしてなんとこのたびは文科省からも。地域に根差した学校づくり、コミュニティ・スクールを提案している出口さん。
そして放課後の子どもの居場所づくり事業でコーディネーターをさせてもらっている僕です。
ナビゲーターは文教大学の青山先生が担当し、今の僕たちと、そして学生達とできることというのをテーマに、各視点からお話しさせていただきました。

みなさんの内容もほんの少しですが紹介しましょう。
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まずは青山先生のイントロダクションです。
自分なりの一歩を踏みだすことの魅力について。
普段から学生に知識と思いを伝え続けていらっしゃる青山先生だからこそ届けられる、優しい言葉と明るい雰囲気は、参加者の皆さんの気持ちを一気に高めていたように思います。

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中村さんのお話は、障がい者の余暇支援をやっていて一番大切に思うことは、いかに自分たち自身がメンバーと楽しみながら、健常・障がい関係なく出会い、共に楽しい時間を過ごせるか。
という点が非常に印象深く、僕自身も共感させてもらいました。

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油科さんのお話は、もともと地域の親たちに子ども会の企画を頼まれたことがきっかけで、なんと夫婦でNPOを立ち上げ、事業として子ども達の場所を作ってしまったというドラマ。その情熱と行動力、そして実現力にたくさんの学びをいただきました。

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出口さんのお話は、学校をベースにしたコミュニティづくりにはどれだけの可能性があるかということを話してくださいました。現場の先生、保護者にも様々な考えの人がいて、こうしたコミュニティづくりの意識にはギャップもあるものですが、だからこそ、情熱をもって提案していく人が行政にいるのは頼もしいことだと思いました。


そして僕はというと、放課後の価値とそこに関わる地域の大人というテーマでお話しをさせてもらいました。
卒業と同時に担当している放課後子ども教室のコーディネーターが、今年で7年目を迎えましたので、その中で見えてきたことから。
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放課後の価値 
放課後がテーマということで、まずは子ども達の一日の時間をおおまかに分けてみることから始めました。

それは「家の時間」「学校の時間」そして「放課後の時間」です。

家の時間とは、家族と一緒に過ごす時間。
学校の時間とは、学校の中で友達や先生と過ごす時間です。

これらの時間は、自分だけの思い、自分だけのペースで過ごすことはなかなか難しいように思います。学校には時間割やクラスの流れがあるし、家庭にも家族の流れがありますからね。何でも自分の好きにというわけにはいきません。
それがダメという意味ではなくて。
家族集団、学校集団の時間には魅力も含めて、そういう面があるということです。

中には「いやいや。私は子どもに寄り添っています。」と思う方もいるでしょう。
僕自身も大切にしたいと思っています。
でも。それでも、大人側の思いと子ども側の思いにはギャップがあるように思います。
なぜなら、そんな素敵な親や先生ならば、子ども達はいっそう、その人のことを思いやるからです。そして大人たちには気づかれないように、めちゃくちゃうまく気持ちを汲みとってくれたりするからです。

それに対して、放課後の時間。

これは、友達と遊びたければ友達と遊ぶもよし。
一人で過ごしたければそれもよし。
もちろん家族と過ごすのもよし。
それらを途中で変更するのもよし。

共通するのは、本人の主体性と本人のペースが保てる自由な時間ということなのでしょう。
それは言い換えると、
「自分の判断で過ごせる時間」
といえるように思います。

その判断は、うまくいくこともあれば、失敗することもあるもので。
ではその成功と失敗の基準は何かというと、それは自分の嬉しい、楽しい、悲しいといった気持ち。心です。

そんな自分の判断の一つ一つが、
成功と失敗の経験、心の経験へとつながり、心の経験の積み重ねが、その人自身の価値観を作るように思います。

自分の判断で過ごせる時間。

それが、放課後の価値ではないかと思います。

第三の大人の存在
さて、そんな放課後ならば、そもそも大人がその時間に関わることはナンセンスなように思えます。ですが、この放課後の時間が少しずつ変化しているのが今なのでしょう。

例えば、習い事や塾通いで忙しい子どもたち。最近は学校の宿題も多いようです。
例えば、ルールとゴールが明確に定められた携帯ゲームやカードゲームの遊び。
その完成度の高さが魅力でもありますが、子どもたちが自分でアレンジする余地というのはあまりありません。
例えばケンカをしたら、それはお互いの思いの相違や葛藤、折り合いをつけていく経験の学びになるチャンスです。しかし実際はすぐお互いをごめんなさいと謝らせ、ケンカの状況を長引かせない。つまりクラスの外や家にまで持ち込ませないことをよしとする学校の一部の対応。さらには、トラブルは解決ではなく、回避することを良しとする体質。

そういう環境の中では、放課後の時間であっても、無意識に大人の価値観がしみ込んでいるように思います。

そこで放課後を放課後らしくする。
「課」題の「後」の「放」たれた時間にする。
そのために僕は、親でも先生でもない第三の大人の存在というのを提案させてもらいました。

例えばケンカが起きたとき。
これが学校の場合、子ども達の多くは解決を先生に求めます。
そして多くの先生は、先生が采配します。
(直接的な言葉は使わず、自分たちで解決した風にしながら、実は雰囲気で誘導するというのも含めて。)

では放課後、そこに先生がいなければどうかというと。
ふだん学校で先生がやっている治め方を、
ケンカした当事者、あるいは見ていた人の中で、意見を通すのが得意な方・強い方・味方をつけることができた方がやります。
これでは、子ども同士で解決しているようで、実は背後に学校の先生がいます。

そこで、第三の大人の登場です。
親でも先生でもない大人。
それは特に子どもにとって、その人との関係に利害があるわけでも、立場があるわけでもない、対等な関係でいる大人です。
第三の大人がそこにいる場合も、子ども達は解決を求めます。
でも解決はしません。聞くだけ。
そして、じっくり解決すればいいというのを言葉や雰囲気で伝えます。
すると、これだけでもびっくりする子がいたりします。

「え?お互いにあやまらなくていいの?」

と。言わないけど、そんな顔です。
それで、あらためてお互いに話したり、もう話したくないといって悶々としたり、そういう時間を過ごします。そうしてじっくり考えて、やっぱり仲直りしたいなって思った時に、それは翌日、もっとあとかもしれないけど、自分たちのタイミングで謝るのでしょう。
逆に、子ども同士では学校的なやり方に傾きそうときは、フォローに入るのもありです。

そんな風に、子ども達を無意識に、一方的な価値観にひきこんでいる大人のムードに対して、あえて、自分の価値観で過ごせる時間をキープする、ひきこまれないように引き戻す。
というよりも「曖昧な時間を肯定する」「逃げ場や隙間を作る」という意味で、第三の大人の存在がいる意味はあるのではないかと考えます。

繰り返しになりますが、本来は放課後に大人なんていなくていいと思っています。
だけど、アンバランスな環境を作り出しているのは大人です。
だからこそ、そのバランスをとるのも大人の役目なのではないでしょうか。

子ども達と対等に向き合い、自身も成功と失敗をくりかえす判断やペース、そういうありのままの姿を見せてくれるモデルとしての存在は、子どもたち一人ひとりの自分らしい時間、放課後に楽しい影響をもたらせてくれるように思います。

そんな第三の大人として、学生さんを中心に、地域のお兄さん・お姉さん、おっちゃんやおばちゃん、じいちゃん、ばあちゃんと一緒に、これからも活動していければ嬉しいです。

参加してくれた皆さん、そして実行委員として活躍してくれた縁の下の力もち&青山ゼミの皆さん、どうもありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2013-10-23 07:17 | 研修会・講演 | Comments(5)

「自分の好きなことができる場所、できる時間、受け入れてくれる人」

今日は、栃木県はこころねさんの主催する土曜楽校からのリポートです。
ここでは、みんな一人ひとり、自分の好きなことをして一日を過ごします。
基地を作る。
サッカーをする。
本を読む。
魚を見つけにいく。
仲間とおしゃべりをしながら、自分の考えを整理する(親が中心)etc

その中で僕は工作部門とおしゃべり部門の担当として呼んでいただいています。
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自分の好きなことをして過ごす。
そのイキイキとした子ども達の、自信に満ち溢れた姿を見ていると実感することがありました。
それは、好きなことを好きといえて、その好きなことができる場所、人、時間。
これがいかに大切かということ。

なぜなら、好きなことを好きなようにできるということは、
言い換えれば、自分のことを「好き」と思えるということだからです。

そこで、一つの疑問も浮かびました。

この子達は、好きなことをいつまで素直に好きといって、それをやっていられるのだろうか?

色々な子ども達に出会わせてもらっていると、好きなことを好きといえなくなっている子というのは、少なくないように思います。
なぜか、

恥ずかしいから。
うまくできないから。

です。
その言葉の背景に見えてくるのは、他者との比較や評価なのでしょう。
ほんとは好きだけど、自分はA君よりもできないから、
ほんとは好きだけど、みんなにおかしいって言われると恥ずかしいから、
そんな理由で好きといえなくなる。できなくなる。

ほんとは好きなのに、できない。
こんなにもったいないことはありません。

そもそも「好き」が評価されるっていうのがおかしいことです。
「好き」という本人の気持ちに誰かが正・誤をつけることはないんですから。

だけど、その好きという個人的な気持ちが、集団の評価とすり替えられてしまっている。
子ども達は自分自身で、すり替えざる得ない気配が、どこかに流れている。

このことを僕ら大人はもっともっと丁寧にみていかなければいけないように思います。

小・中学校が前期終了となったこのタイミングで。
中学生の仲間、保護者の仲間と一緒に、学校の成績をテーマに話をしながら、子ども達のありのまま姿を見て、考えさせてもらったことでした。

繰り返しになってしまいますが、
好きにこだわれる場所と時間があり、その空間を認めてくれる人がいること。
それは自分自身を好きだと思える、場所と時間と人がいるということ。
そんな空間が家や学校、公園や児童館、街の中にあることは、とても大切なことだと思います。

こころねの皆さん、今回もありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2013-10-17 18:06 | コラム・エッセイ | Comments(4)

「子どもの気持ちに寄り添うママ」

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さて今回は、千葉県にあるマーブルさんでのワークショップの出会いから報告したいと思います。

こちらでは11人の子ども達と絵を描いて遊びました。
絵の具で海の世界を描くことからはじまって、そのあとはその絵を舞台に、画用紙を使ってペープサートづくり、ごっこ遊びという、あっという間の二時間でした。
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その中から最年少のリーちゃん(2歳半ちょっと。年明けに3歳)のお話です。
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彼女は、ワークショップの間とても集中していました。
絵の具で描くだけでなく、はさみを使って紙もどんどん切っていきます。
さらに、その日の道具にのりは出していなかったのですが、
部屋全体を見渡して僕の道具箱にのりがあるのを発見したりーちゃんは、自分で取り出し、のりも自在に使っていました。

そんなリーちゃんが、はじまる前の自己紹介ではちょっぴり不機嫌そうな顔をしていました。そのことをワークショップ終了後、スタッフさんや何人かのママさんと話していたら、りーちゃんのママが言いました。

「うちの子は、本当は自分のことを4歳って言いたいんだと思う。」

聞けば、お姉ちゃんもいるし、普段ここで一緒に遊んでいるお友達はみんな年上なこともあって、自分の年齢を言うことに悔しさを感じている。
というのです。

2歳半のりーちゃんが持っている自尊心。

その気持ちに気づき、寄り添うママ。
その気持ちを共有しあえるスタッフさん達。

りーちゃんが積極的に制作する姿の背景には、
日常でママや周囲の大人たちの、りーちゃんの気持ちを子ども扱いせず、真剣に寄り添おうとする姿も見えてくるのでした。


子ども達と関わる大人が
2歳半の等身大の気持ちを、
上から目線で、小さな子どものかわいい気持ちととるのか、
対等に、一人の人間の成長したい気持ちととるのか、

それによって、子ども達が自ら成長したいと思う心は
素直にも、天邪鬼にもなるように思います。

そんなことを考えると、
「子どもの気持ちに寄り添う」という言葉をあらためて整理したくなりました。

子どもの気持ちに寄り添う。

それは、子どもの姿や行動を「かわいいなぁ。」という感覚で、容認することではありません。
自分なりにその子の立場、その子の気持ちを想像しながら、また自分自身と照らし合わせながら、
「嬉しい」って思えたり、「悲しい」って思えたり、「変だぞ」って思えたり、「悔しい」って思えたり。
そんな風に気持ちをくみ取りながら、見つめること。それが寄り添うです。

一見すれば、子どもの気持ちや行動を受けとめているように見える姿でも、
「かわいいor幼い子どものすることだから」と見るのと、
「等身大で、成長しようとしていることだから」と向き合うことでは、
その質は全然違うのでしょう。

マーブルさんとの出会いを通して、
僕自身もあらためて、もっともっと真摯に向き合っていきたいと思いました。

みはるさん、マツイさん、子どもたち、ママたち、みなさんありがとうございました。

また遊びましょう(*^^*)
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by doughnut-official | 2013-10-14 18:47 | コラム・エッセイ | Comments(3)

越谷市子育て支援サイトさんのインタビュー

越谷市の子育て支援サイト「こしがやクワイエ」さんに、夏のワークショップ空のある街の模様を取材していただきました。作品展の様子とインタビューしていただいた記事が公開されたそうですので、ぜひみなさまご覧になってみてくださいね。

こしがや子育てクワイエ
空のある街2013活動リポート&インタビュー
空のある街2013作品展リポート

自分の住んでいる街でたくさんの出会いを、そしてお仕事をいただけるというのは、本当にありがたいことです。これからも一つ一つ丁寧にがんばっていきますので、どうぞよろしくお願いします!
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by doughnut-official | 2013-10-04 00:26 | NEWS | Comments(1)

「子ども達が学ぶ場所の形」

今年度は、越谷市内のフリースクールりんごの木さんにて通年、外部講師として呼んでいただいています。
今日は、そこでの先週のワークショップの場面から、小学生の女の子のお話です。
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制作をしながら、家族のことや自分が好きなことなど、色々な話をする中で、彼女が何気なく言った一言が、僕の頭の中にずっと残っています。

(ふだん、子ども達が作品を作ることに没頭しているときは、雑談などしないのですが。今回、彼女が僕のワークショップにじっくりと最初から参加するのははじめてのことでして。彼女自身が、まだこの空間で表現することに少し警戒している感じがありました。
そこでまずは、この場所でありのままを表現することを安心してもらえるように、信頼関係を作っていけたらと思って、おしゃべりをしていました。)

彼女が「絵を描くのが好き。」という話をしているとき、
ぽつりと言いました。

「絵を描くの好きだけど、いいの描けても家族しかみせる人がいないから。」

自分のお気に入りの絵が描けたら、
自分自身が嬉しくなるのはもちろんのことですが。
他の誰かに見てもらいたいし、それで「素敵!」っていってもらいたい。
それって当然のことだと思います。

彼女はそんな気持ちをおそらくいっぱい持っているんです。
でも彼女には、そんな風に自分の作品を見せられる人がほとんどいない。
そんな場所がほとんどない。
そして、そのことを彼女は彼女なりにちゃんと自覚していて、葛藤を持っているのでした。

僕は言いました。

「俺、描いた絵見せてもらうの大好きだよ。よかったら今度もってきて。」

「うん!」

こんなやりとりで、そのときの話はおわりました。
最後には、自分の中で気に入った作品ができたようで、嬉しそうにしていましたよ。

**********

「絵を描くのは好きだけど、いいの描けても家族しかみせる人がいないから。」

この一言には今の子どもの育つ環境を考える上で、かなり大切なポイントが映し出されているのではないかと思います。

僕は今の学校教育の在り方がどうこうという話をするつもりはありません。
でも学校に行かないことで、
その子が自分の大好きを伸ばせたり、自分の魅力を実感できる学び・育ちの機会がなくなってしまうというのは、おかしなことだと思います。

学校教育の良し悪しを問いているのではなく。
ただ、日本で現在主として行われている学校教育というのは、あくまでも一つの形であって、それ以外の学び方や学びの場所はあっていい。
子ども達の受け皿、子ども達が育つ場所は、もっともっとあっていい。
僕はそんな風に思います。

************

「今日、楽しかったよ。」

帰り際に彼女は、わざわざ僕にいいにきてくれました。
「ありがとう。」と言ってくれようとしたのだと思います。

こちらこそ、とても楽しかったです。
ありがとう。

そして、こんな風にのんびりと関わる時間を大切にしてくださるりんごの木さん、ありがとうございます。
また次回もよろしくお願いします(*^^*)
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by doughnut-official | 2013-10-01 23:19 | コラム・エッセイ | Comments(2)