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DONUT WORKSHOP REPORT

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「児童館の役割と可能性2」

みなさんこんにちは!
少し久しぶりの更新になってしまいました。

というのもこの一週間は、愛媛県の大型児童館えひめこどもの城さん主催のボランティアスタッフ研修会からはじまり、愛媛県の児童館職員研修会。
そのあとは、栃木県は日光の幼稚園さんにてワークショップ&研修会、さらに宇都宮の保育園さんでのワークショップと、各地各方面の方々にお呼びいただきました。

いつも思っておりますが、本当にみなさんとのご縁一つ一つのおかげです。
ありがとうございますm(#^^#)m

ということで、少しずつ報告していきたいと思います。

まずは愛媛県での研修会のリポートです。
児童館の職員研修は、昨年度やらせていただいた栃木県の児童館職員研修、香川県の児童館職員研修がご好評いただき、今回で三県目となりました。

テーマは
「児童館の役割とこれから」
子ども達の遊びや環境を中心に、普段たくさんの子ども達と関わらせていただいている僕なりの考察と実感、そしてポイントなどをお伝えさせていただきました。

とその前に、今回はそもそもなぜ僕が児童館での研修を担当するのかということについて整理するところからはじめようと思います。

なぜ僕が児童館の研修に呼んでいただくのか。
それは僕が子どもたちに関わるスタンスと児童館の位置づけが近いからのように思います。

僕と児童館の職員さんの共通点。
それは、親ではない、学校の先生でもない、第三の大人ということ。
ワークショップと児童館の共通点は、家庭でも、学校でもない第三の場所ということです。

親(家庭)ではなく先生(学校)でもないというのは、言い換えると、
期待や評価を求められるわけでもなく、自分の意思で近寄ることも離れることもできて、それでいて対等に付き合っていける関係、場所ということです。

親との信頼関係や先生との出会い、学校の学び、大人や仲間の期待というのは子どもたちと大きく育ててくれることでしょう。

でも、子どもたちは、好きな人に思いを寄せる心ももっています。
だからその心は時に、自分の思いよりも大好きな親が喜んでくれる笑顔を見るため、
先生が認めてくれるために、要求に応えるということもするように思います。

それに対して、児童館の職員さんのような対等な大人の存在。
子ども同士だけで対等に遊べる児童館という場所。
つまり、自分の心に素直でいられる存在・場所というのは、
自分を思ってくれる大人の存在と同じくらい大切なように思います。

第三の場所。
第三の大人。

なぜわざわざそんなことを言うのかというと、
それは今の子ども達の環境がアンバランスだからでしょう。

ありきたりの論になってしまいますが、
核家族中心で、さらには防犯・安全のためもあり、子どもの遊ぶ場所・人は管理されることが増えています。
それとは反対に、親の目も・先生の目も届くことなく、それでいて安全な、子どもが子どもらしくいられる場所、時間というのは減っています。
自分らしくいられるスキマの時間、余白の空間が少なくなっているのです。

こうした街の環境を作っているのは大人ですから、
減らした分の環境に対し、新たな環境を提案し、バランスを整えるのも大人の役目なのだと思います。

と、このような思いが児童館の職員さん達の思いと重なるんですね。
そこで、児童館の研修会です。

前半は僕から児童館への提案、後半は先生方の現場での実感を含めて話し合ったり、遊びの実践もふまえながら、進めていきました。
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僕からお話しさせていただいた児童館の役割は三つ。
その一つが、
「自分の価値観を実感する場所としての児童館」
ということです。

遊びには正解も、評価もありません。
ただ一つの答えは、「自分」がそれを好きかどうか、興味があるかどうかだけです。
そういう雰囲気を前提に、子ども達は色々な遊びを、自分一人で、または仲間と一緒にやってみて、

これは好き。
これは嫌い。
これは楽しい。
これはつまらない。
これは許せる。
これは許せない。

などと、子どもたちは自分自身の興味関心を実感していくのでしょう。
つまり価値観の自覚です。

家庭でも学校でもない、
期待も評価も答えもない中で、
どこまでもマイペースに、自分自身の価値観を実感できる体験、場所、
そして、それを共感してくれる存在として、
児童館がある。

それは、非常に大切で魅力的な児童館の役割のように思います。

あと二つ伝えさせていただきました
「創造的な遊びの発信地としての児童館」
「子育て観の発信地としての児童館」
については、以前のリポート「児童館の役割と可能性」をあわせてご覧いただければ幸いです。

「たかが遊び場と思われる認識もある中で、もっともっと、子どもの遊びの価値をちゃんと伝えていかなきゃ!」

そう話されている職員さん達がたくさんいらっしゃいました。
そんな先生たちの、子ども達を思う温かな情熱をうけて、僕も心を込めて講師を務めさせていただきました。

新たな仲間たちとの出会いに感謝でいっぱいの二日間。
えひめこどもの城の皆さま、参加してくださったボランティアスタッフ・県内の児童館職員の皆さま、そして素敵なコーディネートをしてくださった石川さま、本当にありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2013-05-28 16:16 | 研修会・講演 | Comments(0)

「hometown」

こんにちは。
今日のリポートは、近況報告をしたいと思います。

まずは新年度も、おかげさまで各地でたくさんの子どもたち、大人たちと関わらせていただいております。
今週末には初愛媛にて二本の研修会&ワークショップ。
どんなことになるのでしょうか♪
来週には、日光の幼稚園さんでWSと研修をさせていただきます。
また先日は神奈川県藤沢市の保育士会からもご依頼いただきました。
たくさんのご縁に心から感謝です。

こうして各地でワークショップや講座に呼んでいただき、素敵な輪が広がっていくことは、なにより嬉しいことですが、今年度はもう一つテーマがあります。

それは僕自身が住んでいる「越谷」という街でのアクション。

というのも、
たとえば先日、僕のケータイに中学生の友人からメッセージが来ました。

「大学の吹奏楽部とつながりたいんだけど、協力してもらえないかな?にんにく、お願い!!」

にんにくというのは学生時代僕が髪型をソフトモヒカンにしていたかたついたあだ名です。笑
彼女は、僕が大学四年生のときに、仲間とはじめた一番初期のワークショップに参加してくれていた女の子なのでした。
当時小学一年生だった彼女は、現在は中学二年生。
そして今、こんな連絡をくれました。
中学生が大学生とつながりたいって思うのは、とても魅力的なことですし、その発想と行動も素晴らしいと思います。
それを、こうして気軽に相談してくれるということは、なんとも嬉しく、ありがたいことです。

GWには、また別のワークショップで出会った中学生の友人との話がありました。
彼は役者をやっているのですが、このたびミュージカル「アニー」に出演。
僕も観劇させていただき、彼のプロとしての顔にたくさんの感動をいただきました。
「お互いがんばろうぜ!!」
そんなことを言い合えることが、本当に嬉しいです。

また今週月曜日に受付をおえた、地域の子どもの居場所づくり事業でも素敵な出会いがありました。
僕は小学校の地域コーディネーターというのをやって7年目になるのですが、
今年そこにきた市役所の担当さんは、なんと母校の後輩。
「先輩、よろしくお願いします。」
と担当さん。
「良い街にしていきましょうね。」
と僕。
自然とこんなやりとりができることが、嬉しくびっくりなことでした。

今月からは、市内のフリースクールでも、年間を通して特別講師をさせていただくことになり、
夏には、10周年をむかえる、サンシティホール主催のワークショップ「空のある街」 も引き続きディレクターを担当させていただくことが決定しました。

市内の保育所や子育てサロンでの講師も今年で四年目を迎え、
最近では「どこにいけばひでちゃんと会って話ができますか?orまたWSに参加できますか?」
と声をかけていただくことも多くなりました。

さらに、市内で障害のある子どもたち、大人たちのサークルによる親子イベントの企画担当も今年で5年、
そして母校の大学でも、年に数回特別講師で呼んでもらうようになって、こちらも今年で5年目を迎えます。

と、気付けば越谷だけで、
1・2歳の親子から大人まで、幅広い世代の方々とお仕事をさせていただくようになりました。

ありがとうございます。

駆け出しの当時は僕の仕事に対して「ちゃんと就職もしないで何をバカな」
というような人はたくさんいましたし、
「え?子育て支援ってボランティアじゃないの?お金とるの」
なんていう人もたくさんました。

しかし、理解してくれる人たちや共感しあえる人たちにたくさんの力をもらいながら、
丁寧に丁寧に向き合いつづけ、伝えつづけて、 今、このようなことになりました。

一つ一つの出会いの点と点がつながって、線になっていったこの数年。
それはさらに、その線と線もつながって、大きな面になろうとしています。

そこで!
越谷企画第一弾を大発表です!!

まずは来月から北越谷にて、子育てサロン&子どものアトリエを開催していくことにしました。

夏・秋には、地域の大人・学生向けのボランティア講座、親・保育士向けの講座なども企画を予定しています。

こんな風に、僕がこの7年で皆さんとの出会いから学ばせていただいた、考え、つながり、方法などなど、
何でも、越谷の街に還元していければと思っているこの頃です

かつての仲間のみなさまも、今の仲間のみなさまも、
お力をお借りすることもあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします(*^^*)

詳細をお楽しみに♪
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by doughnut-official | 2013-05-18 01:08 | NEWS | Comments(0)

「~したい。だから育つ。」

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こんにちは!
今回のリポートは、フリースクールりんごの木さんでのワークショップです。
三回に渡って絵を描くワークショップをとのことで、第一回目の今回は、まずはたっぷりと自由に描いてもらいました。

思い思いに楽しんでいくれた様子の中から、1人だけ紹介しようと思います。
短い時間で、五個もの作品を作った14歳のAくんです。

彼は二時間のあいだ黙々と作品を作り続け、終わると大きな息を吐き、顔をあげて静かに言いました。

「集中したぁ。」

その表情は、全身を熱気おびた血がかけ巡ったかのように、ほんのりと頬が赤らみ、目は潤い、まるで本当にキラキラと光っているような、そんな顔をしていました。

そして、完成した絵を僕のところにもってきて、作品の説明をしてくれました。
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「この絵のここはね、足跡で、人がたくさんいることを表しているんだ。」

その熱のこもった作品と言葉を、僕も真剣に見、聞きます。

「この線は車輪。回っている世界と、繰り返すこと、輪廻みたいな。人間と時間と。そういうイメージを描いているんだ。こっちは音楽、、」

彼の中には、外に出したい色んな気持ちや考えがたくさんあって、それを絵で描く。
それでも、まだ足りなくて、今度は言葉で伝える。
そんな印象でした。

話してくれる説明の中には、きっと浮かんだから絵に描けた表現も、反対に描いているうちに生まれた解釈もあるでしょう。
しかし、浮かぶのが先か後かはどちらでもよいことで。
先だろうとあとだろうと、その発想が浮かぶということは、彼の根っこにそう感性があるということ。

こんな風にして、彼の考えや思いの一部を見させてもらえるのは、ワークショップの醍醐味です。

それも自分で納得しているから、その作品と、彼自身がなんとも自信に満ち溢れ、キラキラしているから、たまりません。

その場面にたちあわせてもらえた僕も、大きな感動をもらいました。

ワークショップが終了後は、何人かで作品をみながら、お茶を飲み談笑。僕は聞きました。

「次はどんなことをやろうか?」

すると、彼が即答しました。

「今度は立体でやってみたい!!!」

ーしたい!!!

こう思える気持ちは、どれほど人を成長させるくれることでしょうか。

描きたい
作りたい
伝えたい

彼はきっと、どこまでも育ち続けていくのだと思います。

もちろん僕も。
そんな彼や、彼らをもっと見たいから。いっそう磨き続けていきたいと思います。

りんごの木の皆さん、ありがとうございました(#^^#)
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by doughnut-official | 2013-05-13 20:24 | 小学校などのWS | Comments(0)

「汚れることをなくさない」

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なくさないシリーズ二回目は、汚れることについて書こうと思います。
クレヨンであそぶ、絵の具であそぶ、泥んこであそぶ、新聞紙であそぶ、etc
夢中になっているうちに、体や服が汚れてしまう遊びっていっぱいありますよね。

そんな遊びを大人だけの目線で考えると、中にはついつい
「汚れたら洗濯が大変」「せっかくの綺麗な洋服が台無し」
なんて思う親御さん、あるいは
「親に迷惑をかけられない。」「親からクレームがきては困る。」
なんて思う先生もいるでしょう。

しかし、もしそれらの遊びに対して、汚れることのデメリット以上の価値を見出せたなら、
きっと汚れるという理由で制限されることは今より少なくなるだろうし、子どもたちの体験が、もっともっと豊かになっていくのではと思います。

ということで、今日は砂遊びを例にして、その中にはどんな体験が隠れているのかを掘り下げてみようと思います。
みなさんも砂遊びをやっているつもりでイメージしながら読んで いただけると嬉しいです。

それでは、砂遊び実況スタート。

まずは砂に触れ、つかんだり、落としたり、両手でかきあつめたりしてみます。
サラサラして気持ち良いなぁ。
ヒンヤリして気持ち良いなぁ。
指先や手のひらから、砂の感触・温度を感じました。

そうして触って遊んでいると、砂の表面には指の跡で線ができていました。
その線をみて今度は想像力がはたらきます。
「あ!道だ!」
砂にできた線は、道になりました。

道になったら、今度はまた新しいアイデアが。
「道に何かを通してみたい!」
それでまた考えます。
「道に通すのは何がいいだろう?」
まずは指で何度かなぞってみました。
「うーん、指ではちょっと物足りないなぁ。」
「動きがあるナニカを通せないかなぁ。」
「それも自分で動かすのではなく、それ自体が動くナニカを。」

周りを見わたしてみても、うまく動いてくれるものはなさそう。

「うーん、どうしよう。」
自分の今までの体験と情報をフル稼働させて、
今の自分に用意できるナニカを、さらに考え続けます。

もう一度あたりを見まわしてみると、目線の先に水道を発見しました。

「そうだ!水を流そう!!」

自分の知識と経験と予想が結びいた瞬間です。

早速バケツで水を汲んできて、一気に水を流します。

ザバーッ。

すると道はたちまち崩壊しました。

「あらら。壊れちゃった。」

もう一回、道を作ろうとして、水を含んだ砂、つまり泥をさわってみます。
「あれ?」
さっきとは違う感触に気づいて、指でなぞると、さっきより形が残りやすいことを発見しました。
「水をかけたら、砂が固くなったぞ。」

と、まぁしかし、この発見はさておいて、まずはもう一回水を通したいのが今の気分。
あらためて道を作り、水をくんできます。

「さぁ、流そう!」
とはやる気持ちを感じながらも、ここで一旦ストップです。
さっき勢いよく流しすぎて、道が壊れたことを覚えていますから。
今度はさっきよりもそうっと、バケツを傾けます。
自分の身体の力の使い方を加減して、調節して、水を流すのです。

スーッ。

静かに道を流れていく水。

「やった、道が通った!」

見事、道に水を流すことに成功しました。

***

砂遊びの展開は他にも様々あるでしょう。
「道をどんどん作ろう。」と長くしたり、
「山を作ろう。」「トンネルを作ろう。」と立体的な造形をしたり、
「Aくん、Bちゃん、一緒にやろう。」と仲間と協同作業になるのも楽しそうですね。
あるいは、さっきの発見を思いだして。
「水に濡れた砂の感触面白かったなぁ。丸めると形になるぞ。」
「あ!これはお団子だ!」「これはおにぎりだ!」
というのもいい。

こんな風にして、子ども達は、頭と身体、五感や知識や経験や想像、そういうものをフルに使って遊んでいるのです。

とはいうものの、
今回は遊んでいる最中に思ったことをわかりやすく「」をつけてセリフにしましたが、実際は言葉で表現しながら遊でいるわけではありません。

だから大人には見えにくい。
見えるのは服や手の汚ればかりで。

しかし、見えにくいからといって、そこに価値がないというわけではありません。

そもそも、なぜ汚れるのかというと、
汚れる性質のモノ・コトは、汚れないようにと、簡単には自分のコントロールが効かないということで、
汚れる活動=コントロールが必要な活動といえるでしょう。

だからこそ、何度も経験して、考えたり、工夫したり、発見したり、調整したりする育ちの時間となるのです。

僕は、子どもが服や物を汚さないことよりも、
大人が子どもの育ちを汚さないことのほうが、ずっと大切なように思います。
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by doughnut-official | 2013-05-10 23:52 | コラム・エッセイ | Comments(0)

大人のことを書く理由

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最近のリポートでは、親や先生といった大人たちのことを多く書いているのですが、今日はその理由について少しだけ。

各地からワークショップに呼んでいただくと、いついっても、どこにいっても、子どもたちは魅力的です。
そんな時、やっぱり大事だよなぁと思うのが、側にいる大人たちの子ども観。
理由は、子どもたちが同じ行動をしていても、大人の見方によって、
その場の空気が全然違うものになってしまうからです。

例えば、一人の子どもが白い紙を前に、
「さぁ、これから何を描こうか」とイメージを膨らませている姿があるとします。

その姿を見て、
「何を描こうかワクワクするなんて、とても幸せな時間だよね。
たっぷり考えたらいいよ。」
と思う大人が近くにいるのと、
「あら、あの子は何をするかわかってないようだから、もっと教えてあげよう。」
と思う大人が近くにいるのとでは、
その子の活動の質は大きく変わってきます。

前者のような大人が側にいたら、その子の活動はたっぷりと自分の想像を巡らせる時間となるでしょう。
後者のような大人が側にいたら、その子の活動は大人からのレクチャーを学び、少しプレッシャーも感じ、課題をクリアする時間となるでしょう。

このように、二つの視点だけでも全然違うんです。
さらに、今は二つだけあげましたが、見方はもっともっとたくさんあります。

そこで、僕が実際に出会った、魅力的な大人たちを紹介することで、
子どもの心を軸にした子ども観と関わりのモデルを少しでも紹介できればと思いました。

子どもの見方が変わったら、子どもの味方が増えていきます。
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by doughnut-official | 2013-05-08 17:46 | コラム・エッセイ | Comments(0)

子どもの居場所の可能性2

こんにちは。
連休もあっという間に最終日ですね。明日からまたがんばっていきましょう♩

さて、今回のリポートは恒例であります、ララガーデン川口さんでの親子イベントの様子から。この日は、子どもの日にちなんで、こいのぼりを作って遊びました。
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親子で一緒に協力して作ったり、
親子それぞれに作って見せあったり、
夢中になって作る子と、それを優しく見守るママやパパがいたり、そんな素敵な時間が流れていきました。
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そんな中、こないだの差し入れに続き、また予想もしていなかったハッピーを参加者さんから、いただきました。

それは、今回で三回目の参加になる親子さんからの 報告。

「ひでちゃんに見せようっていってた写真があるんですよ。」
とママさん。
「写真?何ですか?」
出してくれた携帯画面を覗き込むと、
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それは姉弟二人がお家で作った、ダンボールのキリンでした。

「前回の動物づくりの工作をしたあと、家で作ったんですよ。それでひでちゃんに見せたいね。って。」

なんと嬉しいことでしょう。
今までも「家でやってます♩」っていう嬉しい報告は色々な方に聞かせてもらいました。
けれど、実際に写真でみせてもらうのは初めてのことで。
それも、見せようって思って撮ってくれたニコニコ笑顔。
感動でした。

あそこに行けば、また遊べる。
あそこに行けば、報告できる。

そんな「場所」があることの素晴らしさをひしひしと感じさせてもらいました。

街の中に子どもの居場所が少なくなったという話はよく聞きます。そういう面もたしかにあるでしょう。
しかし、僕は実感と確信をもって言いたいです。
街を作る大人たちの考え方や点一つで、本気でコーディネートすれば、子どもたちの居場所は、どこにでも作ることができると。

大人たちのコーディネートからはみ出す子どもたちへの期待も含めた上で、大人たちに作ることのできる環境の可能性は、まだまだこれから。

参加してくれた皆さん、そしてこのような素敵な場所をくださるララガーデン川口の皆さん、ありがとうございました(#^^#)
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by doughnut-official | 2013-05-06 10:34 | コラム・エッセイ | Comments(0)

「泣くことをなくさない」

シリーズコラム第一弾は、泣くことについてです。

子どもが泣くと、、大変ですよねぇ。
だから、大人はついつい泣かないようにするための方法を考えがちなように思います。

例えば、先生がクラスで子どもたちに色紙を配るとき。
一人ひとり好きな色を選ぶようにすると、思い通りにいきわたらず、もめる子・泣く子がいるかもしれないから、全員同じ色を用意する。そうすれば、誰も泣かないという発想。
そして、そういうクラスづくりができる先生は、周りからも子どものことをよく理解した保育をしている先生のように思われる。
こういう見方は少なくありません。

しかし、泣くということは本当にないほうがいいことなのか、
もう一度考えることが大切なように思います。

そこで具体的な場面をもう一つ。
僕のワークショップでよくあるのは次のような場面です。

ワークショップ終了時、泣き出す5歳のAちゃん。
それをみたママや先生が言います。

「ほら、もうさ年長さんになったんだよ。そんなんじゃ年中さんに戻っちゃうよ。
ほら、泣くのはもうおしまいにしよう。」

言い方は優しいです。でも、これは脅迫。
たしかに泣き止む子もいるけれど。それは、年長になれないのは嫌だから泣き止むという流れ。この子は泣いた気持ちに納得しているわけではありません。

またはこういう言い方。
「いつまで泣いてるの!!おいていっちゃうわよ!!」
語気を強め、迫力でその子の気持ちをおしこみます。
これも泣きやむ子はいます。怒られるのが怖いから。
でも、泣いた理由は関係ありません。

このような方法を使えば、だいたい泣きやみます、子ども達。
でも、子どもが泣きやむことよりも、それ以前に大切なことがあるのではないでしょうか。
それは「なぜ泣いたのか」という、その子の心。

泣くのには理由があるのです。

僕の例だと、泣いた理由は

もっとやりたかったからとか。
家でも作ってみたいけど、どうやっていいかわからないからとか。
この場所が終わってしまったら材料がないと思うからとか。
楽しい時間や別れが寂しいからとか。

そういう色々な気持ちがあって、
その全部が「泣く」という表現になるのです。
まだ泣くしか方法がわからないから。

そこで、最初は泣くしか表現方法をもっていない子どもに、新たな表現方法、つまり言葉を伝える役目をもつのが、親や保育士といった、そばにいる大人たちなのだと思います。

僕の場合は、さっきのような場面ではこんな風にやりとりするようにしています。

泣いているAちゃんの側にいって静かに話しかけます。
「まだやりたかった?」
泣くAちゃん。
僕は一人でつづけます
「俺だってまだやってたいもんなぁ。終わっちゃうのさみしいし。」
まだ泣いているAちゃん。でもさっより少し小さい声になりました。
「もっと作りたい?」
「うん。」
ここで、べそをかきながらも、はじめてうなづいてくれました。
「そしたらさ、材料あげるから。お家帰ってからもすぐやってみたら。」

ここまで話して、泣き止む子もいますし、泣き止まない子もいます。
もしまだ泣いていたら、他にも理由を探っていきます。
たとえば
「母ちゃんもやり方覚えたってさ。」
これは「家では、ひでちゃんがいないからできないのでは」という心配に応えるため。
「また次回も来るからさ。」
これは「もう会えないかも」という寂しさに応えるため。
「お母ちゃん、ほんとに帰ったらまたやるよねぇ。」
これは「ママも自分の気持ちをわかってくれている」と、安心してもらうため。

こんな風にして、細かく言葉にしていきます。
ここまで具体的なやりとりを書くのはナンセンスな気がするのですが、
それは僕は自分の方法が正しいとか、泣き止ませ方を伝えたいから
ということではないんです。
その子の泣く気持ちにいかに寄り添って、大人が受け止め、それを言葉にしていくという場面が、少しでもリアルに想像してもらえればと思います。

子どもたちはそうやって、大人からも言葉をもらい、
支えてもらいながら自分の気持ちに整理をつける経験を何度も味わっていく。
そしてその経験が、やがては自分気持ちを泣かずに言葉で表現し、自力で気持ちの整理できるように育っていくのではないかと思います。

泣いている子と関わるとき、
自分はその子の泣く気持ちを受け止めようとしているのか?
その子の泣く行為をやめさせようとしているのか?

どちらの視点にいるかで、
子どもの泣くことへの見え方、そしてコミュニケーションは大きく変わります。

子どもの泣く機会をなくすということが、
新たな心が生まれ、新たな表現を学ぶ機会をなくすことにならなければと強く思います。

p.s.
わかっているけど。今の自分にはキツイ、という状況の親や先生もいるでしょう。
そんな時は、自分で抱えることなくフォローしてもらっていいと思います。
先生なら現場の仲間や上司、パパやママなら近くの保育園や子育てサロン。
味方はたくさんいますから、甘えてください。
職員はそのためのチームだし、サロンはそのための場所ですから。

自分のキツイのを解決するために子どもに求めるのではなく、
子どもの育ちを守るために、大人同士で支えあっていければ素敵。
僕もできる限りフォローします。

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by doughnut-official | 2013-05-03 16:33 | コラム・エッセイ | Comments(3)

「子どもの育ちは連続している」

さて、コラムの続きの前に、通常のワークショップの様子も書いていきますね(^^)

週末は越谷市増林保育所にて、親子講座でした。
こちらの講座もおかげさまで今年四年目となりまして、親子の皆さんも、先生達も楽しみにしてくださっています。

今回も新聞紙を使って色々な遊びをしました。
子どもたちは一つ、何かきっかけがあると、それを何倍ものアイデアで返してくれます♪
と、この姿はきっとみなさんも浮かぶと思うのですが、
実はパパやママも同じように何倍ものアイデアを見せてくれるんですよね。
遊びの引き出し、大人もほんとはいっぱいもっているんです。忘れているだけで。
だから、つい日常では見逃しちゃうような、ほんの少しのきっかけさえあれば、親子の遊びはどんどんと広がっていくのでした。
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数を重ねていくうちに、参加者の親子さん達とは自然とつながりができていきます。
その中に、昨年の春に出会い、すでに四回目の再会となった親子さんがいました。
この家族はいつもパパさん・ママさん・息子さん三人一緒に来てくれています。
そのパパがワークショップの最中、僕のところにきてこんな質問をしました。

「ひでちゃんさ、いつもそれぞれ自由にっていうじゃん?
でもさ、俺ら大人の世界ってそうじゃないよね。その点どう考えてるの?」

僕が答えます。

「僕は今だからこそ、大切にしてほしいなって思います。
学校教育は、中には素敵な先生もいるけど、基本的には、個より集団、協調のほうを要求されていきますし。そのことはきっと嫌でもわかっていきます。僕らもそうだっだでしょ。子ども時代ってそんなにバカじゃないです。でも今は特に、一番最初の自分の土台をつくる時期。だからこそ自分の好き・嫌いや興味関心をたっぷり発見して過ごしてほしいなって思うんです。
もちろん学校に行ってからも、親には土台の方を支える存在であってほしい。」

するとパパ。

「なるほどねぇ。たしかに、だんだん嫌でもそうなるかぁ。俺が子どものときもそんなだったのかなぁ。」

「もっと土台を守るすきまはあったんでしょうね。今は携帯にネットに、情報は何でも広まるし。何かといえばリスクをなくさなきゃという感じで。色々な面で窮屈な気はします。」

「たしかにねぇ。そうかぁ。うちの子、もう少しのんびり見ててあげたいなぁ。」

夢中になっている親子たちを見ながら、こんな話をしたのでした。

***

僕はこのパパさん、すごく良いなぁと思います。
なぜかというと、わが子の育ちを、自分自身の大人の価値観にまで膨らませて,考えているから。

というのも、
教育現場や保育現場では、子どもの育ちが部分で切り取られることが少なくないんですよね。
例えば小学生を思い浮かべてみてください。
小学生たちのゴールは「立派な中学生になる」という部分で切り取られることが多いです。
上級生になるほど、とにかくがんばらさせられる。
「もうすぐ中学生なんだから!」なんて言われて。
では、中学校に入ってみるとどうでしょう。
一年生に逆戻りです。

幼稚園や保育園で「立派な小学生」を目指してきた一年生も同様です。
園ではがんばってきて、入ってみたら、今度は「まだ一年生だから。」なんて甘くみられたりします。

それは失礼な話でしょう。

小学一年生は、6年という時間(正確には一人ひとり6年と数か月)をしっかり育ってきているし、
中学一年生は12年という時間をしっかり育ってきているのですから。

もっといえば、
年中クラスだって年長クラスになるための時間じゃないし、5年生だって6年生になるための時間じゃない。

子どもたちは小学生や中学生に向かって、ぶつ切りに育っていくんじゃなくて、
生まれた時からずっと、大人に向かって、連続して育ち続けているのです。

子ども達一人ひとりの「今」という時間は、大人の決めた区切りで結果を出すための準備時間にはなっていませんか。

親や先生が、わが子やクラスの子どもに対して、何かしらの疑問や焦り、課題などを感じたときは、一度、その子の育ちをもっともっと広い視野、つまり大人になるまで広げて考えてみるといいのかもしれません。
広い視野でみてみると、立派な小学生・中学生になるため、大人が「~させなければ」と思っていたことも、また少しちがって見えてくるように思います。

5歳の息子の時間から、パパ自身の大人の社会までを考え、あらためて、今はわが子のペースを受けとめていこうとしたパパさんはとっても素敵でした♪

増林保育所の皆さん、ありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2013-05-01 07:37 | コラム・エッセイ | Comments(0)