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DONUT WORKSHOP REPORT

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カテゴリ:親子のWS( 57 )

「自分の時間に自分で責任をもつ」

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先週金曜日、コトリエ親子講座からのリポートです。
 
親子で遊びを楽しんでもらいながら、お母さんたちには、子どもの時間について、幼少連携などの話題も含めて、一つの視点をお話させてもらいました。
 
日本の学校教育というのは、基本的には、時間割で一日がすすみます。
学校の決めた時間割ですね。
他者との中で、社会の中で、一日の時間が組まれているということなのでしょう。
 
それもたしかに、一つの大切な視点だと思います。
ですが、自分が今日という一日を生きる、というのはそれだけではないように思います。学校の決める時間割ではなく、自分の時間割です。
 
幼少の連携というと、幼児期は小学校に入るための準備のように考えている人もいるようです。保育や教育現場の人でも。
が、僕はそこには疑問を投げたいです。
 
だって、幼児期まで小学校の準備時間にしてしまったら、子どもはいつ、自分で自分の一日を作ることを経験するのでしょうか。
 
幼児期という時間が、子どもの育ちの中で、自分の時間を自分で組み立てる経験の時間になるのか。
それとも、物心ついた時点で、誰かの基準に合わせて過ごす時間だけになるのか。
 
そんな話をしていたら、一人のお母さんが話してくれました。
 
「私、結婚して、家庭に入ってから一年くらいすごくモヤモヤしてたんです。でも、それって、いきなり毎日を全部自分で決めることになって。たぶん、そのことに戸惑っていたのかもしれない、と今思いました。自分の時間に自分で責任をもつのが、いつのまにかこわくなってたのかなって。」
 
コトリエ親子の講座では、親子で楽しく遊んでもらいながら、ほんの少し、こどもの環境を考えるきっかけに嬉しいです。
 
来月は、1月20日金曜日の10時半〜12時です。
ご興味ある方は、ぜひホームページも見て見てください♩
http://kodomokankyo.jp
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by doughnut-official | 2016-12-13 11:04 | 親子のWS | Comments(0)

「見立て遊びと生活のつながり」

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夏からはじまった子どものアトリエ、コトリエも年内最後の回が終了しました。
今日は親子クラス、1歳10か月のトモくんの様子からリポートです。

えのぐで遊んでいたとき
手元に集まったえのぐのチューブたちを見て、ある発見をしたトモくんのひとことです。

「じゅうたいしちゃった。」

チューブの集まりを、車の渋滞に見立てたのでした。
そうして今度はお母さんと一緒にチューブを交通整理する遊びがはじまりました。

この見立てが、なんともトモ君らしいんです。

というのも、彼はバスが大好き。
コトリエの行き帰りもバスに乗れる日は嬉しそうにしていて、
その様子を私たちスタッフも何度も見ていました。

そんな彼の

「じゅうたいしちゃった。」

バスに乗っているトモくんとお母さんの光景が浮かんできて、
なんだかこちらまでワクワクしました。

子どもの見立てを
「かわいい。」
と言ってしまえば話は終わってしまいますが、少し真面目に整理すると、これは日常生活の体験から得た情報が、遊びの中で知識に昇華した一場面といえるのではないかと思います。

こんな姿を見せてもらうと、
年齢問わず子どもたちは生活の中で、

何を見て、
何に出会い、
何を感じ、
いかに解釈するか、
という活動を相当真剣にやっている人たちなのだということをあらためて実感します。

本当に面白いです。

******

もう一つ、コトリエで大切にしたい視点についても紹介します。

今回の活動の中で、
私たちスタッフやトモくんのお母さんが、
「絵具で絵を描くことがゴール」
「絵具で描く体験に意味がある」
などと目標や目的を設定してしまっていたら、
彼のこんな姿は見られなかったでしょう。

なぜなら、彼が箱からチューブをどんどん出していていった時点で、
「ほら、描こう。」
「使う分だけだそうね。」
などと誘導の声がかけてしまうからです。

そんなのもったいない。

やる。
やらない。

それは、ちゃんと本人が決めますし。

その都度、
その瞬間、

自分が一番面白いことを見つけて、行動するのが子どもたちです。

私たちスタッフは、
お母さん・お父さんたちと一緒にそのことを信じて、
ゆっくりのんびり楽しめる空間を作っていければと思っています。

こどものアトリエ、コトリエ、来年もよろしくお願いします(*^^*)
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by doughnut-official | 2015-12-20 06:57 | 親子のWS | Comments(0)

「わが子の見方 わが子の味方」

今日は、コトリエ親子クラスのリポートから。
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親子クラスは、基本はそれぞれの親子のペースで遊びながら、時々、子どもの色々な見方についておしゃべりして、学びあいます。

「私は、子どものやることを待つ練習をしにきてる感じです。」

そう話してくれたのは、新メンバーの親子のお母さん。

ついつい先回りしたくなったり、
自分がこうしたほうが良いと思うとつい言たくなってしまう。

と自身を振り返りながらも、
今度コトリエにつれてきたいという、小学2年生のお兄ちゃんの素敵な話を聞かせてくれました。

お兄ちゃんは、数字が好きなそうなんです。
それである時、お兄ちゃんの自由帳に数字が1から順にびっしり書いてるのを見たお母さんは。

なにこれ、ちょっとこわい、、

と思って聞いたんだそうです。

「なに書いてるの??」

するとお兄ちゃんの返事、

「数字の終わりを探してるんだよ。」

と。

子どもの発想が自分とは全然違うから。
視野を広げたい、とお母さん。

自分では、小言を言っちゃうのよね、と言うけれど、でも、そういう親の葛藤も込みで、あったかい母ちゃんだから、お兄ちゃんもそんな風にいられるんでしょうね。

コトリエが、子どもも大人も関係なく、遊びながら、学びながら、育つ場所の一つになれば嬉しいです。
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by doughnut-official | 2015-12-09 08:01 | 親子のWS | Comments(0)

「まだ立てない赤ちゃんがつかまり立ちができた。というよりも、彼は見たい景色があったから立った。」

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昨年から、こども環境デザイン研究所(略称:コラボとお呼びください)では、毎週一回、親子の造形遊びやごっこ遊びを中心とした子育てサロンを開催しています。今回はその報告を。

今日の参加者の中に、0歳と、1歳の人達がいました。その二人の様子から。
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写真右の彼は10ヶ月、
写真左の彼女は1歳と10ヶ月

どちらも一見したら小さな子に見えるでしょう。
ですが2人のやりとりを見ていると、どうも「小さな子」というのは、ふさわしくないように思いました。

0歳の彼は、サロンの間、1歳の彼女をよーく目で追っていて。
部屋中、一生懸命はいはいで追いかけていました。
そして、彼女のほうも、彼に気づくと、様子を伺ったり、歩くのを待ったりしていました。

それで、二人が窓までいったときのこと。

お姉さんの方が、まず窓の前に立って外を眺めました。
すると、はいはいの彼も手すりにつかまり立ちをして、一緒に外を見はじめたんです。

お姉さんは何を見てるの?
僕も見てみたい。

そう言っているかのような彼の行動は、
赤ちゃんという言葉のイメージにはあてはまらないように思います。

彼の様子は、
いうなら、思いのままに動き回り、遊びまわるお姉さんという憧れに出会って、背伸びをしてでも隣に並ぼうとうとしたということで。

それはまだ立つことのできない小さな赤ちゃんが手すりにつかまって立てた。

ということではなく、ただ

彼女と同じ風景を見たいと思ったから、今自分にできる最善で立った。

ということのように思います。

この姿は、小さな子どもの成長というよりも、
子ども、大人関係なく「人が育つ」場面といえるような気がします。

人は誰だって、魅力的なモデルとの出会いの中で育っていきますもんね。

これからも、たくさんの出会いやきっかけとなれたら嬉しいです。

よろしくお願いします(*^^*)
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by doughnut-official | 2015-10-06 11:59 | 親子のWS | Comments(0)

「音とともだち 楽しむこどもたち」

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先日は、つながり遊びうた研究所のまっちゃんに音楽ワークショップにきていただきました♩

まっちゃんの奏でる優しいギターの音色。
子ども達の元気な歌と踊り。

我が子を見つめる親達の穏やかな表情。
その中で一緒に踊るもよし、外から眺めてノるもよし、0歳から5歳までの子ども達は、それぞれにお母さんとお友達と楽しんでいました。

今回の音楽のはじまりは、一人の参加者の男の子の独唱から。
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きっかけはまっちゃんがギターを優しくひきながら子ども達にした質問です。

「最近何歌った?」

前にいた男の子が答えます。

「やっほっほ なつやすみ」

「聞かせてくれる?」

「こんにちは〜♩なつやすみ〜♩」

すくっと立ち上がり歌いはじめました。

すると周りのみんなも彼の歌を聴きながら、ニコニコ。
はじめましての人もたくさんいた会場が、一瞬にして和やかなムードに包まれました。

いきなり知らない人たちもいる前で一人で歌うって、自分におきかえて考えてみても、なかなか勇気がいりますよね。
でも、彼は楽しそうに歌っていました。

たぶん、彼の中には、音程が上手いも下手も関係なくて、姿勢がかっこいいかとかピシッとしているかとかも関係なくて。
ただ、歌うって気持ち良いなぁっていう実感だけがこめられている。
そんな歌いっぷりでした。

それで、ふと今日のはじまりを、さらにもっと最初まで考えてみると。

ギターをひきはじめる前から、チューニングをしながら世間話をして、ワイワイおしゃべりをするまっちゃんと親子の姿があって。
僕たちスタッフも一緒になっておしゃべりをして。

そういう何気ないみんなの自然体なやりとりから、今日のこの時間はすでにはじまっていて、
彼は、この場でいきなり歌うことにためらいなく、安心を見つけたのかもしれないと思いました。
(そもそも単純に、ひとまえで歌うのも好きな性格だっただけかもしませんが♪)

でも、そんな彼の気張らず歌う姿に、今度は周りのみんなも安心して。

そうやって、一つ一つの心が、音楽でつながっていき、楽しく温かな時間になったように思います。


おしまいには、まっちゃんからお母さん達へ、真剣なメッセージ。


子ども達がすくすく育っていく環境に、社会にしていくために、大人が真剣に考えていくことがある。


まっちゃんはそのことを、これまた温かく参加者のみんなに伝え、音楽ワークショップは終了しました。

参加してくれた皆さん、そしてまっちゃん、ありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2015-09-18 21:11 | 親子のWS | Comments(0)

「ぶつかったり、モヤモヤしたり、どうしても泣くしかなかったり、色々しながら自分を作り、他人を知る。」

こんにちは。みなさん連休はいかがでしたか。
気づけば、11月も最終週。また少しずつご報告していきたいと思います。
今日は、ホームタウン越谷にて、秋から毎週開催している親子講座の様子から。

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ここでは、親子一緒に工作で遊べる色々な素材がおいてあります。
また、量もストック分は全部おいておきます。

その理由はというと、子ども達の興味のきっかけをできる限りいろいろ置いて、子ども達の判断にゆだねてみたいからです。

子どもたち一人一人がどんなものを選び、何を、どんな風に、どれだけ使って遊ぶのか。

紙に、箱に、紐に、クレヨンに、ペンに、絵のぐ、のり

存分に描き、切り、貼り、考え、研究する。

子どもの遊ぶ力、そして学ぶ力はすごいです。

****

このブログでも何度か書いていますが、僕が親子のワークショップをはじめた当時は、
「工作だけで一時間半も、小さい子どもの集中はもちませんよ。」
とよくいわれました。

でも、僕は反対に、子ども達みんなが飽きちゃう場面なんてみたことがありません。
子ども達は自分で「面白い」を見つける天才ですから。

じゃあなぜ飽きる子どもがいるのか。
それは簡単です。

そういう先生たちのやる工作の時間には、
子ども主体の遊びではなく、大人の意向・大人の制限・大人の都合や流れ、そういう関係ないものが入っているからです。
「工作」という活動自体は同じでも、本人に主体のない遊びは遊びではなく、作業やタスクになります。それは飽きますよね。

にも関わらず、そうして、飽きた子どもを見ると、
その原因は自分の環境作りや子どもに対して向き合う姿勢ではなく、
子どもの未熟さに原因があると考える。
そして、子どもは未熟だからと、はやめはやめに次の展開を考え、大人のタイミングで切り上げる。

だからますます見えなくなる。
子どもがどれほどの力をもっているかということが。

それで、
「小さな子どもは集中力をもっていない」
と誤解する。

これがサイクルなんだと思います。

****
ワークショップでは、

素材はある分だけ子ども達の前に用意しますし、子ども達に全部みせます。

すると、たまに、こうした環境の作りでは子どもの実態を把握できてないのでは、
なんて考える人がいます。
理由は、

活動・素材を一つにしないと集中が散漫になるとか、
出したら出した分だけ全部使っちゃうからセーブするとか、
色々選べたら取り合いやケンカが起きるとか、

考えるからだそうです。

しかし、僕はそれは単にごまかしではないかと思います。

たしかに余分に準備しなければ、子どもは余分に使うことはないのかもしれません。
取り合いなどもおきないでしょう。

でも、それはあくまで大人にコントロールされてるだけ。

大人がコントロールしてれば、トラブルは少なく、楽でしょうが、
子どもが自ら育つこととはかけ離れているのではないかと、僕は思います。

****

たしかに色々な要素があればある分、色々な迷い、葛藤、衝突などもおこるでしょう。
でもそれも含めて、育ちの時間だと思います。

今回もありました。
二歳半頃のターちゃんは、俗にいうイヤイヤ期のまっただ中です。
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でもイヤイヤ期って、そもそもこの言い方が、実は大人が中心の視点の言い方なんだと思います。
子どもからすれば、自分を主張しているだけで。
それはいいかえれば、自分を自覚しはじめたということで、
なんとも素敵なはじまりの時間なのです。

と、同時に、自分の思いや価値観を自覚しはじめたからこそ、
他人との違いが生まれ、葛藤しはじめる時間でもあります。

そんな自己発見まっただ中のターちゃんが帰り際、
こちらが用意していた画用紙を
「全部持って帰る」
と、カバンにしまおうとしました。

なので、お母さんと僕は
「それはできないよ。」
といいます。

「やーーだーー!!」
泣きだすターちゃん。
「他のお友達も使いたいからさ。」
「そのかわり、来週も必ずもってくる。」
説明する僕。
泣くターちゃん。

お母さんは、こちらに気を使って
「ごめんなさいね。だいじょうぶですから。」といって、連れて帰ろうとしましたので、
僕は言いました。

「ママ、いいよいいよ。
ターちゃんには自分の思いがあって、でも、だから他人とのあいだではズレも生まれて。それってすごいことだよ。

今はきっと「自分」と「他人」のギャップの間で葛藤する最初の時間だからさ。
じっくり付き合って、
っていっても、ママと二人でいつもそうは言ってられないのが正直なところかもしれないけど。
でも、この講座ははそれを一緒に過ごせる場所の一つですから。
ターちゃん、たっぷり泣いていいし、泣くほどの思いに僕たちも向き合うし。
もちろん、できないなことやその理由も伝え続けますよ。
それで一緒にモヤモヤの時間を過ごしましょ。」

ターちゃんが少し落ち着いてきたところで、もう一度僕から提案しました。
「一枚ずつならおウチにもっていっていいから。あとはまた今度ここで使おう。」

お母さんは、また「いえいえ、いいんです。」っていってくれましたが、

「ターちゃんが、全部ほしいっていう自分の気持ちをおさえようとしているのだから、僕のほうも折衷をつけて、お互いさまにしようよ。」

といって、お互いに寄り合おうとしました。

そしてターちゃん、涙をグッと拭い、
「うん。」
といって、一枚ずつ取ると、残りは僕に返してくれました。

自分の気持ちと、こちらの気持ちを一生懸命に考えたターちゃんでした。


翌日、お母さんからも素敵なメールをいただきましたので、少しだけ紹介します。

>昨日は大変お世話になりました。
>私は、ごまかして「なくなっちゃったねぇ。おうちにもあるよ。」で帰ろうとしました。
>が、ひでちゃんが一人前に扱い、じっくり話してくださりました。
>そして、折衷案に納得することができました。
>イヤイヤ期真最中の息子に一つ一つじっくり話して納得させることを怠っていたと反省>しました。
>一人前に扱うことって大事だなと改めて思います。
>彼を理解しようと目を見て正面から 話してくれる大人がいることはターにとって幸>せなことだと思います。
>そしてみなさんや、友だちといる場が心のよりどころの1つになったら嬉しいです。
>ターの世界が広がっていくのですね。
>これからもターがいろいろ我を出すと思いますが、よろしくお願いします。

ママも一生懸命。素敵です。

*****

子ども達の育つ環境を考えた時に、

例えば、子どもは何でもみさかいなく使うから、必要分しか与えない・見せないほうがいいとか、

例えば、AさんとBさんは相性が悪いから、クラスやグループを離せばいいとか、

そういうことを当然のように考える人も少なくありませんが、
大人目線でみて、それぞれの葛藤や、試行錯誤、他人との衝突やトラブルを回避することは、
はたして子ども達が育つ環境を作っていることなのでしょうか。

僕はそうは思いません。

今日、何かの課題を上手にできたかどうか、
今日、誰ともケンカをせずにみんなで仲良くいられたかどうか、

はたまた
保育園or幼稚園のうちに何かができたかどうか、
小学校or中学校のうちに何かができたかどうか、

などなど、大人はつい、
大人の決めた時間、大人自身がかかわっている時間で、
目の前の子どもにゴールを、結果を求めがちですが。

でも、それは子どもの育つ時間という視点からみると、
なんてことないことなのかもしれません。

だって、例えば園を卒園する3月と小学校に入学する四月というのは、先月と今月の違いでしかなく、

もっといえば、学年なんていうのも、3月31日と4月1日、昨日と今日くらいの違いでしかないわけで。
(もちろん、卒園や進級という節目の魅力、ドキドキやワクワクの気持ちはいっぱいあるでしょうが)
それを

「もう年長さんなんだから。」
とか
「もう小学生なんだから。」
と子ども達にいうのは、少し変な感覚だと思います。

大人時間で、子どもの育ちを捉えるのではなく、
もっともっと大人になるまでの広い視野で、子ども達のペースで育ちを捉えてみたら、
親も、保育者も、教育者も、
目の前でおきる子どもの色々な育ちに対してもっと気楽に、穏やかに、どーんと構えていられるように思います。

たっぷり泣いて、迷って、ぶつかって、葛藤して、ゆっくりゆっくり大きくなってもらいたいものです。

「そうはわかっていても親は大変なのよ~。」
というママ・パパ達の気持ちも、めいっぱい想像しながら、
僕も楽しく応援できるようがんばりたいと思います。

参加してくれたみなさん、ありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2014-11-25 00:16 | 親子のWS | Comments(0)

「見立てやごっこ遊びの面白さ」

こんにちは。
今回は、ホームタウン越谷の親子講座からリポートです。
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定番となりました新聞紙を使った造形遊び。
にぎって、丸めて、やぶいて、貼って、折って、描いて、、偶然もまざりながら、生まれた形を見立てて遊びましたよ。
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おにぎり
おだんご
おさら
ドライヤー
ぼうし
にんぎょう
とんぼ
ねこ
ひこうき

などなど、一見まるめただけの新聞紙たちは、
子ども達一人一人の興味、関心、生活を土台に、想像の力で大変身したのでした。

毎月講座を開催しているスタッフさん達も驚くくらい、
みなさん1時間半たっぷり、、ひたすら新聞紙で盛り上がっていましたよ。
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****

さて、今日はこの見立てについて少し。

見立てるとは、自分が得た情報を、頭の中で整理し、もう一度自分なりに再現すること。つまり、情報を使うということです。

そこで思いました。
大人にも、自分が知った面白いことはすぐに他人に話したくなったり、
新しく知った方法なんかはすぐにためしてみたいっていうのありますよね。

もしかしたら子ども達の見立て遊び、ごっこ遊びの面白さの中には
なりきって遊ぶ面白さの他にも、自分が取り入れた情報を使う面白さというのがあるのかもしれません。

ぜひお家でも、身近な色や形に、想像を膨らませながら、遊んでみてくださいね。

*****

と、ここで話は変わりますが、もう一つ。
僕が使った「かもしれない」という言い方についても少しだけ説明したいと思います。

「かもしれない」という表現では、
「説得力に欠ける」と感じた人がいるかもしれません。

たぶん、
「子どものごっこ遊びには、自分が取り入れた情報を使える面白さがあるのです。」
といったほうが、読んで「なるほど」と思ってくれる人は多いでしょう。

講演などでお話しさせてもらう時も、
「僕は~と思います。」
という言い方でお話しをすると、
「講師のなのにあいまいな言い方をしないで。」と抵抗をもつ人がたまにいます。

しかし、僕はあえてそう言うようにしています。
なぜなら、僕がブログや講演で話させてもらう子どもの視点や推論は本人達が言ったことではないからです。
(0、1、2歳はとくに言葉では言わないでしょうし。)

お話しさせてもらうには、もちろん僕なりに、年間で何千人というたくさんの子ども達に出会わせてもらい、色々な姿を見せてもらったうえで、推察し、考察し、整理したことを話しています。
だけど、それは、

子ども本人が言ったことではない。

僕はこのことを忘れてはいけないと思っています。

それは、たとえ現場のベテラン保育者であっても、有名大学の研究者の論であっても同じです。

大人が語るどんな子どもの視点や論、メソッドも、それはあくまで大人の推察・考察であって、子ども本人が言っているわけではない。

「子どもは~なのだ。」
「子どもは~すると豊かに育つ。」
「子育てには~が良い。」などなど

誰かががスパッと言い切って「答え」をくれると、
聞いている側は自分で考えなくていいから楽ですし、気持ちが良いです。
言う方も、相手が「なるほど。」といってくれると、なんだかもっと正しい気がしてきて、ますます勢いがでます。
そうして堂々と「答え」を発言している人の方が、親や保育現場から喜ばれて、人気の専門家になる、といった変なサイクルが生まれていたりします。

でも、ほんとは答えなんてない。

一人として同じ子どもはいないのだから。

だから、どれほどの子ども達に出会い、
どれほどの経験から自分なりの視点や論が生まれたとしても、
そして素晴らしい学びや知識を得たとしても、

いつだって一番大切なのは、
目の前にいる子どもに対して、

何を考えているかな。
何を感じているのかな。
何が面白いいのかな。
何がイヤなのかな。

などと想像し、考え続けることだと、僕は思います。

参加してくれた皆さん、ありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2014-10-20 12:41 | 親子のWS | Comments(0)

「安心からはじまる表現」

みなさんこんにちは。
春らしいポカポカ陽気になったと思いきや、ここ数日は寒い日がつづいていますね。
年度はじめは知らず知らず疲れもたまりますから、風邪などひかないように注意してくださいね。

僕はというと、少しずつ新年度のワークショップもはじまってきました。
今日は越谷市保育園で行った親子講座から。
僕自身もブームが続いている空き箱と新聞紙を使い、色々作って遊びましたよ。
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その中から二人の様子を紹介したいと思います。

身体の安心からはじまる

一人目は、途中から遅れて参加した女の子。
僕が挨拶をすると、ササッとお母さんの肩に隠れてしまいました。
周りのみんなはすでに集中していて、部屋もシーンとした雰囲気だったので、
中に入ってくるのも緊張したようです。
そこで、見知らぬお兄さんが話しかけてきたら、、
びっくりするのもわかる気がしますよね。

そこでまずは、彼女に安心してもらいながら、遊びのイメージを膨らませられたらと、
少し離れた場所で、その分身振り手振りを大きくして説明を始めました。
空き箱と色紙を使って、折ったり、貼ったり、描いたり、切ったり、
「どんな物を作っても、どんな風に作ってもいいんだよ。」
ということが、見ているだけでも伝わるように、ゆっくりとやりました。

笑顔は見られませんでしたが、緊張からだんだん真剣な表情に変わっていくのがわかります。説明をおえ、僕が離れると、彼女は早速作りはじめました。

そうして、しばらくしてから様子を見に近くにいってみると、
今度はニコッと微笑んで、嬉しそうに作っているお家を見せてくれたのでした。
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***

僕は、初めて出会う子ども達とは、最初、物理的に距離をとるというのを、大切に考えています。
見知らぬ大人にいきなり目の前まで近づかれたら、大人でも緊張しますもんね。
なので安心してもらうために、少し距離をとります。
子ども達が自分から近づいてきたくなるまで。
しかし、こうした子どもの安心の距離というのは、なかなか無視されてしまいやすいものでもあります。

小さい、幼い、かわいい、かよわいなど
大人が子どもに感じる、大人本位の理由で、グングン近づいていく人っています。

なぜ、そのようなことができるかというと、
「子どもは自分で人や状況を判断している」
ということを想像していないからではないかなと思います。

***

子ども達を見ていると、自分なりにしっかりと状況を理解しようとしているのが伝わってきます。
人の表情、人の行動、場の雰囲気といった情報を自分なりに集め、整理して、
自分に危険はなさそうか、この場は面白そうか、を考えているんだと思います。

今回の彼女もそう。
周りに人はどんなことをしているか。僕はどんなことをしているか。
自分が使える道具はどれで、自分はどんな風に遊ぼうかを考えて、判断する。

その一番最初の判断材料が、ここは自分にとって危なくない場所か。危なくない人たちか、という、からだの安心なのだと思います。

彼女は彼女のペースで、そして彼女のものさしで、この空間や僕の存在に安心を見つけたから、活動をはじめたのでしょう。

心の安心からはじまる

もう一組は、お母さんの方がなんと、去年僕が別の保育園の講座にいったとき、職員として入っていた先生。その時の講座の話に共感してくださり、今回は母親として自分のお子さんを連れてきてくれたのでした。

当時、
「うちの子は、最近は絵を描いたり工作をするのが好きじゃないみたいなんですけど、今日の話を聞いたら、園では周りの評価を気にして、臆病になっているのかもしれないって思いました。」
と心配していたママ先生。
その後は、市内の別の保育士研修にも参加してくれて、今回は三回目、ついにお子さんも一緒の参加となりました。

では、心配していたお子さんはどんな感じだったかというと、
作る、
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作る、
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相談がウソかように、とても楽しそうに作っていました。
お母さんもその姿を、とても嬉しそうに、驚いて見ていました。

***

なぜ、彼は夢中になって作っていたのか。
それは、彼がこのワークショップが面白そう!と思ってくれたのはもちろんだと思うのですが、
もう一つの理由は、心の安心を感じてくれたからだと思います。

心の安心というのは、

どんな物を作ってもいい、
失敗してもいい、
「変なの」「なにそれ」っていわれない、
もっとここを~したほうがいいよっていわれない、

そういう表現に対する安心という意味です。

彼は、このワークショップの雰囲気から安心を感じ取り、
「ここならやってみよう!」と思ったから、作りだしたのだと思います。

帰り際、お母さんが小さな声で教えてくれました。

「わたし、この子があんなに楽しそうに作ってる姿はじめてみました。やっぱり作るの好きだったんだ。きてよかった。」

親子ともに笑顔いっぱいで帰っていきました。

***

子ども達というのは、大人に比べれば知識や経験は圧倒的に少ないものです。
ですから、モノゴトの判断の材料が大人からみれば少ない、時にあぶなかっしいと思うのも当然のことでしょう。

しかし、判断の材料が少ないからといって、それがそのまま判断する力、考える力をもっていないことになるかといったらそうではありません。
子ども達は自分の知識と経験と感性をフルに活用して、自分で判断し、行動しています。

その力を存分に発揮して、動きだせる土台、、

安心。

子ども達の心の安心、身体の安心、どちらも大切にされる中で、
のびのびと育っていってほしいですよね。

増林保育所子育てサロンの皆さん、参加してくれた皆さん、ありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2014-04-22 07:33 | 親子のWS | Comments(0)

「ちょっとした相談ができる場所」

こんにちは!
みなさんいかがお過ごしでしょうか。

僕の方も、おかげさまで26年度も素敵な出会いがありそうです。
新天地としては、京都への進出がきまりした♪
毎年少しずつですが、ワークショップ日本一周が進行中です。

一方ホームタウンの越谷では担当させていただく親子講座が10本を越え、公立の保育士研修会にも呼んでいただけることになりました。コツコツと地域に根をはり活動中です。

またワークショップや講座にくわえ、昨年に続き雑誌の企画のお仕事、絵のお仕事などなどもいただき、期待に胸を膨らませております。

ブログを読んでくださっているみんなのところにも色々な形でお届けできるようにがんばっていきますね(^^)

***

さて、今日は恒例となっておりますララガーデン川口さんでの親子工作ワークショップの様子から。
紙皿と紙コップをつかって、UFOを作って遊びましたよ。
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そして今回もまたショッピングモールのイベントとしては、少し変わった嬉しい出来事がありましたのでご報告。
それは、よく参加してくださっている親子のお母さんが、娘さんの図工についての相談をしてくれことです。
内容は、

うちの子は制作にこだわりが強く時間がかかるので、授業や宿題の時間内に終わることが少ない。
どうしたらいいのだろう。


というものでした。

たしかに学校の図工は時間数が限られていて、
時間内にできることも評価の対象だという考える先生もいるんですよね。
そうなると、本人からすれば好きだからこそ、こだわっていた時間のはずが、
先生の理解は得られず、本当は大好きなのに、「自分はできないのか」と勘違いして、だんだん苦手意識が増えていってしまう。

そんな落とし穴が時にある学校の体制と、表現の魅力のギャップに対して、お母さんがフォローに入ってくれるというのは、なんとも頼もしいことです。
そこであらためて、子どもの育ちと、表現と、学校の時間について一緒に考えることにしました。

***

「時間内に完成させる力は大事」
これは、なんだかもっともらしい言いようですが、
育ちの時間に、その視点はナンセンスだと思います。
なぜなら、自分の価値観の土台を作っている時だからです。

誰かの価値観、誰かの時間にとらわれることなく、自分の思いやアイデアにこだわり、表現にこだわり、じっくり作っていって、自己表現の面白さとむずかしさ、大好きな気持ちを何回も味わっていく。

やがて、その大好きな気持ちと経験がたくさん集まり、本人の価値感の土台ができるからこそ、
今度は自分の評価と他人の評価を客観視することもできるし、何かの時間にあわせて仕上げる力もついてくるのでないでしょうか。

これは僕自身、大人になった今も絵を描くことが好きで描き続けていて、
お仕事として描かせていただいくこともある今、実感としていることでもあります。

(余談ですが、「時間内に完成させることが大事」という先生は、自身がその力を発揮するだけの自分なりの表現方法を持っているのか。ハテナな人も多いです。)

なので、お母さんとも、
「こだわれる」こと自体が素敵だよねと確認しあいました。

もしかしたら学校の通知表の成績に納得いかないこともあるかもしれません。
けれど、それはあくまで担任の先生の見方であって、そもそも自由に描くことや作ることに対して成績がつくのがおかしいこと。
だから評価も時間も気にせずじっくり作っていけて、
かつ子どもの「図工大好き」っていう気持ちが、評価で折れてしまわないように、親もドーンとかまえて、温かく支えていきたいよね。

といった話をしました。
お母さんも
「それでいいですよね。」
とホッとした笑顔をみせてくれました。

***

子育てや教育は、子どもを思うからこそ、考えたり悩んだりするものです。
そこに決まった答えはないけれど、
誰かと共感しあうことで自分のスタンスを確認できたり、
反対に今までの自分とは違う視点を知って気楽になれたり、
そんなやりとりができる場所、存在が街の中にたくさん増えていったらと良いですよね。

イベントの参加をきっかけに、僕のブログを読んでくれたり、こんな風に気軽に相談してくれたりすることは僕にとっても、嬉しく、ありがたいことです。
遊びと学びの場所の可能性を探り、これからも実践し続け、証明していけるよう、ワクワクなプログラムを届けていきますね。

参加してくれたみなさん、ララガーデン川口さん、ありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2014-04-16 15:21 | 親子のWS | Comments(0)

「出会いが育てる遊び」

こんにちは!
本日のリポートは、おかげさまで四年目の担当となりました越谷市の公開親子講座です。
市内では年に数回親子のワークショップに呼んでいただいているので、
久しぶりに会う親子さん、はじめましての親子さんあわせて50組がご参加くださいました。
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今回のテーマは親子でつくって遊ぶ♪
ということで、ゆっくり、たっぷり一時間半、子ども達の心行くまま、
絵を描いたり作ったりしてもらいました。その中からポイントを紹介しますね。

今、一人では気づかない・育たない遊びもある

生まれてきて若い、何事にたいしても単純に知識や経験の少ない、
子ども達の遊ぶ姿をみていると気づくことがあります。
それは、モデルとの出会いの大切さです。
感じるのは、例えば今回のワークショップのこんな場面。

最初は大きな紙とクレヨンで、みんなで自由に絵を描きました。

手を動かすと、それが線にあらわれるという感覚が面白い人。
頭に思ったことが形になって、絵を描けるのが面白い人。
面白さは色々あるでしょう。

そうしてしばらくすると、子ども達の反応はわかれていきました。
面白さが継続中の人は描き続けるし、
面白さに満足した人はやめます。「飽きる」という状態です。

描き続けている子はそのままたっぷりお絵かきの時間を満喫してもらえればと思うので、
今回お伝えしたいのは、描くのをやめた子ども達とのこと。

もう描いて遊ぶのやめた!

そんなわが子を前にすると、ママによっては
「あ、もう、うちの子はこの遊びに飽きたのかな。他の遊びがしたいのかな。講師は次の遊びにいこうとしないし、どうしよう。」
なんて思ってソワソワしたりする人もいるのですが、
そう考える前に、このことを思いだしてもらえたらと思います。

経験が少ない子ども達の遊びには、
一人で考えつく範囲の遊びと、誰かと遊ぶことで(見ることで)気づき、発展する遊びがあるということ。

****

車の絵を描いた男の子がいました。
それを見て楽しみ、またもう一枚描くというような面白さもあるでしょう。
だけど、その子は絵を車の絵を描くということだけには飽きていたようでした。

そこで、僕は自分の描いた車に棒をつけて、彼のところに行きました。
すると、彼はパッとひらめきます。
「僕も棒つける!できたら一緒に走ろうよ!」
こうしてごっこ遊びがはじまりました。

しばらくして、彼はまた言いました。
「信号も作ろう!」
今度は信号をつくり、信号にあわせて進んだり・止ったりして遊びました。
結局彼は終了までの時間めいっぱい、想像力を架け橋にして、
描いて作る遊びとそれらを使ったごっこ遊びをいったりきたり楽しんでいました。

こうした遊びの発展は、きっと彼が以前に自分の経験のどこかで、ペープサート(やそれに似たもの)を見たことがあったり、人形とかで遊んだこと(そういう遊びや劇を見たことなど)がなければ、そのアイデアを自分でゼロから生み出すというのは難しいもののように思います。
出会うから気づくし、それをもとにした新しいアイデアが生まれるのでしょう。

出会いが気づかせてくれること、環境との出会い

出会いが気づかせてくれるというのは、好きな食べ物に例に考えてもわかりやすいと思います。
みなさん、好きな食べ物を思い浮かべてみてください。
自分がそれを好きだということをいつ知りましたか?

その食べ物を食べた時ですよね。
僕はカレーが好きですが、そもそもカレーという食べ物に出会わなければ、「カレーが好き」という「自分」には気づきません。
モデルに出会うから、気づく。
遊びもそうなのだと思います。

では今の時代、子ども達の環境にはどのような遊びのモデルがあるかというと。
スマホで子どもの好きなアニメの動画が見られるし、
百円ショップでもある程度ちゃんとしたディテールの車や電車のおもちゃが買えます。
どれも簡単で、便利です。

しかし反対に、身近なモノやシンプルな形を何かに見立てたり、ものを工夫して発展させるという、主体的&想像的な方法のモデルに出会う場面はとても少ない。

だから子どもが
「飽きた。」
というときでも、
それが本当につまらないから飽きているのか、
もしかしたらもっと発展するかもしれないけど、
そのきっかけをまだ知らず、モデルにも出会ってないから、
遊びの展開で生まれず
「飽きた」ということなのか、
少なくとも理由はこの二つ以上はあるように思います。

そこで、ママ・パパ達、先生、周りの友達が鍵になってくるのでしょう。
一緒に遊ぶ中で、親自身の経験から生まれる視点や言葉は、遊びを展開させるヒントになるかもしれないし。
あるいはわざわざ直接こちらが働きかけなくても、周りの友達の遊び方をみて、気づくこともあるかもしれません。
学ぶの語源はまねるから来たとも言いますが、そうやって、遊びを学んでいく。
それで発展したら、遊びはいっそう盛り上がるし。
それでも「つまらない」と思うなら、それは本当に遊びきった、好みではなかった、あるいはまだタイミングではなかったということなのでしょう。

飽きた。

そんな時は、もう一度立ち止まって、わが子の様子を見てみてください。
そしてママ・パパなりに、一緒に遊びながら何か提案してみてください。
ちょっとのきっかけさえあれば、今度は子ども達のほうが、遊びをどんどん発展させていくかもしれません。

*****

子ども達は自分自身で育つ力というのをたくさんもっています。

しかし、人に出会い、物に出会い、環境に出会わなければ、はじまらない育ちというのもたくさんある。
そのことに意識をもちながら、あらためて子ども達の育つ環境に目を向け、保育や教育について考えていきたいなと思います。

参加してくれた皆さん、ありがとうございました(*^^*)
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by doughnut-official | 2014-02-25 17:40 | 親子のWS | Comments(1)