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DONUT WORKSHOP REPORT

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「大人目線の時間感覚 子ども目線の時間感覚」

こんにちは!
どんどんと色々な園さんの報告を書いていきたいのですが、今日はその前に先日の続きをもうすこしだけ書きたいと思います。
もし前回未読の人は、もあしよろしければこちらからお読みください。 「みえやすい保育 みえにくい保育」
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こんな風に、じっくりと進めていく子どもたちの場面に出会うと、
毎回確認させてもらうことがあります。
それは、大人が自分の目線で感じる時間の感覚と、子どもの目線で感じる時間の感覚の違いです。

僕は子どもたちの活動の「時間」が記録できるように写真をこまめに撮るようにしているのですが、今回のワークショップでは、彼女が考えて、時々周りの様子を伺い、作り、悩み、また作り、写真をとって、というまでには1時間という時間がありました。
そして、彼女の作る手に迷いが見られなくなるまでには、30分ほどの時間がありました。
その間、僕が彼女にかけた言葉はさっきの一言だけ。
あとは、じっくりとAちゃんの全部の行動を見守るという関わりをしていました。

さて、この30分という時間。
それも元気に遊んでいる、積極的に活動しているように見える子どもではなく、
何かを考えていたり、動きが止まっていたり、そういう子どもの30分。

この時間をどう見るのか。
その見方によって、子どもとの関わり、そして場の雰囲気は大きく変わってくるように思います。

それではまず大人の目線、つまりその活動の提案者(保育士や先生、講師)という目線でみてみたいと思います。

周りの子たちがどんどん作りはじめていく中で、ポツリと考えているAちゃん。
そんなAちゃんに対する、自分中心の目線というのは次のようなものではないでしょうか。

・Aちゃんやっていないなぁ。
・自分の導入や説明が至らなかったからだろうか。
・このままでは、周りの先生から私の保育(教育)の実力がないと評価されてしまうかもしれない。

そんな視点で考えはじめたら、この30分はとても不安で長い時間になるでしょう。
「何かフォローをしなくては。」
とAちゃんに対する自分のアプローチばかりが浮かび、
目の前のAちゃんの姿をちゃんと見ていられなくなります。

一方で、子どもの目線、作る本人の目線で見てみると、これがまた全然違います。
Aちゃんの目線

・何を作ろうかな。
・ああいうのも作りたい、こういうのも作りたい。
・どうやって作ろうかな。
・なにか工夫できるかもしれない。

そんなことを考えているなら、30分というのはとてもワクワクするあっという間の短い時間です。そして、そんな子どもの姿がみえきたら、こちらもじっくりと、楽しみに待っていられます。
僕はこの、子どもの目線の時間感覚というのが大切だと思います。

Aちゃんのような場面を前にして、

「どうしたの?」
「わからないかな?」
「一緒にやってみようか?」

まっさきにこんな声かけなきゃと思う先生もいるでしょう。

でもその時は、もう一度考えてみてください。

自分が言葉をかけようとする先には、誰の姿が見えていますか?

自分の言葉がけによって、よりイキイキと活動すその子の姿ですか?
それとも、
その子が他の子と同じように活動を始めて、ほっとする自分の姿ですか?

子どもたち以前に、僕ら大人が焦ることはないと思います。
ゆっくりゆっくりいきましょう(*^^*)


p.s.
経験が少ない先生は、そういう子どもの姿をじっくりと見ること、待つことが不安だと思います。
だけど、こちらが声をかけたい気持ちをグッとこらえて待っていた先に、その子が自分の力で一歩踏み出すという場面がちょっとずつちょっとずつたまっていくと、こちらの信じる力もどんどんと増えていくように思います。

反対に、その不安を解消するため、
自分が子どもを乗せるような誘導的スキルばかりに意識がいってしまっては、
たしかに子ども達が「何もしていない」という場面は減るのでしょうが、
それはただ大人のレールに子ども達がのせられているというだけで、
子ども達の主体の育ちの時間ではなくなっていくでしょう。

ですから今こそがんばりどころ。

その方法の一つとして、僕は写真を撮るというのをおすすめします。

写真をとるといっても、「はいチーズ」といって子どもの笑顔をとるような、後で見て楽しむための写真ではなくて、子どもには気づかれなくていいし、ピントがあってなくてもいいから、メモのかわりに撮るのです。
たとえピンとがずれていても、後でみれば、なぜ自分がそのとき写真をとったか覚えているものですし、何より良いことは、写真には時刻がついているので、客観的にその子の行動と時間の記録が残るんです。これがとても便利。

例えばこんな感じです。
先生はクラスで制作の時間、一見とりかかってないようにも見えるBくんに気付きました。(この場面のBくんというのは、単純にやり方がわかっていなくて、先生からのフォローがもう少しあれば活動をはじめられるというような場面とはまた別の様子というのが前提です。)

「Bくん、どうしたんだろう。何か考えているのかな。」
と一枚パシャリ。これがスタートです。
その5分後
「まだ考えているのかな。それともほかに何かあるのかな」
ここでまた一枚パシャリ。
他の子にかかわっているうちに、気づけば10分後、
ふと気づくと、Bくんはすでに作り始めていました。
「あ、見逃しちゃった。」
ここで一枚パシャリ。

こうすると、あとで見返したとき、Bくんはこちらがはたらきかけなくても、
15分後には自分で作りはじめていたという記録がのこります。
その日のBくんの場面は見逃してしまったけど、記録は残っている。

すると、次の活動のときには、少なくとも15分はB君にたいして「何かフォローしなきゃ」という視点だけではなく「様子を見てみようかな。」と思えるでしょう。

経験の少ない先生、若手の先生が不安になるのは当然のことです。
だけどそれを解消するために
「子どもを動かす力」を身につけるのと、
「子どもが動きだすのを見る力、待つ力」を身につけるのでは、
全然違うことのように思います。

見えにくいけれど、
わかりにくいけれど、
そこにも確実にその子の育ちがあります。
本当の意味で、
子どもの力を信じていきましょう。
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by doughnut-official | 2013-06-12 07:32 | コラム・エッセイ | Comments(0)
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