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DONUT WORKSHOP REPORT

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「泣くことをなくさない」

シリーズコラム第一弾は、泣くことについてです。

子どもが泣くと、、大変ですよねぇ。
だから、大人はついつい泣かないようにするための方法を考えがちなように思います。

例えば、先生がクラスで子どもたちに色紙を配るとき。
一人ひとり好きな色を選ぶようにすると、思い通りにいきわたらず、もめる子・泣く子がいるかもしれないから、全員同じ色を用意する。そうすれば、誰も泣かないという発想。
そして、そういうクラスづくりができる先生は、周りからも子どものことをよく理解した保育をしている先生のように思われる。
こういう見方は少なくありません。

しかし、泣くということは本当にないほうがいいことなのか、
もう一度考えることが大切なように思います。

そこで具体的な場面をもう一つ。
僕のワークショップでよくあるのは次のような場面です。

ワークショップ終了時、泣き出す5歳のAちゃん。
それをみたママや先生が言います。

「ほら、もうさ年長さんになったんだよ。そんなんじゃ年中さんに戻っちゃうよ。
ほら、泣くのはもうおしまいにしよう。」

言い方は優しいです。でも、これは脅迫。
たしかに泣き止む子もいるけれど。それは、年長になれないのは嫌だから泣き止むという流れ。この子は泣いた気持ちに納得しているわけではありません。

またはこういう言い方。
「いつまで泣いてるの!!おいていっちゃうわよ!!」
語気を強め、迫力でその子の気持ちをおしこみます。
これも泣きやむ子はいます。怒られるのが怖いから。
でも、泣いた理由は関係ありません。

このような方法を使えば、だいたい泣きやみます、子ども達。
でも、子どもが泣きやむことよりも、それ以前に大切なことがあるのではないでしょうか。
それは「なぜ泣いたのか」という、その子の心。

泣くのには理由があるのです。

僕の例だと、泣いた理由は

もっとやりたかったからとか。
家でも作ってみたいけど、どうやっていいかわからないからとか。
この場所が終わってしまったら材料がないと思うからとか。
楽しい時間や別れが寂しいからとか。

そういう色々な気持ちがあって、
その全部が「泣く」という表現になるのです。
まだ泣くしか方法がわからないから。

そこで、最初は泣くしか表現方法をもっていない子どもに、新たな表現方法、つまり言葉を伝える役目をもつのが、親や保育士といった、そばにいる大人たちなのだと思います。

僕の場合は、さっきのような場面ではこんな風にやりとりするようにしています。

泣いているAちゃんの側にいって静かに話しかけます。
「まだやりたかった?」
泣くAちゃん。
僕は一人でつづけます
「俺だってまだやってたいもんなぁ。終わっちゃうのさみしいし。」
まだ泣いているAちゃん。でもさっより少し小さい声になりました。
「もっと作りたい?」
「うん。」
ここで、べそをかきながらも、はじめてうなづいてくれました。
「そしたらさ、材料あげるから。お家帰ってからもすぐやってみたら。」

ここまで話して、泣き止む子もいますし、泣き止まない子もいます。
もしまだ泣いていたら、他にも理由を探っていきます。
たとえば
「母ちゃんもやり方覚えたってさ。」
これは「家では、ひでちゃんがいないからできないのでは」という心配に応えるため。
「また次回も来るからさ。」
これは「もう会えないかも」という寂しさに応えるため。
「お母ちゃん、ほんとに帰ったらまたやるよねぇ。」
これは「ママも自分の気持ちをわかってくれている」と、安心してもらうため。

こんな風にして、細かく言葉にしていきます。
ここまで具体的なやりとりを書くのはナンセンスな気がするのですが、
それは僕は自分の方法が正しいとか、泣き止ませ方を伝えたいから
ということではないんです。
その子の泣く気持ちにいかに寄り添って、大人が受け止め、それを言葉にしていくという場面が、少しでもリアルに想像してもらえればと思います。

子どもたちはそうやって、大人からも言葉をもらい、
支えてもらいながら自分の気持ちに整理をつける経験を何度も味わっていく。
そしてその経験が、やがては自分気持ちを泣かずに言葉で表現し、自力で気持ちの整理できるように育っていくのではないかと思います。

泣いている子と関わるとき、
自分はその子の泣く気持ちを受け止めようとしているのか?
その子の泣く行為をやめさせようとしているのか?

どちらの視点にいるかで、
子どもの泣くことへの見え方、そしてコミュニケーションは大きく変わります。

子どもの泣く機会をなくすということが、
新たな心が生まれ、新たな表現を学ぶ機会をなくすことにならなければと強く思います。

p.s.
わかっているけど。今の自分にはキツイ、という状況の親や先生もいるでしょう。
そんな時は、自分で抱えることなくフォローしてもらっていいと思います。
先生なら現場の仲間や上司、パパやママなら近くの保育園や子育てサロン。
味方はたくさんいますから、甘えてください。
職員はそのためのチームだし、サロンはそのための場所ですから。

自分のキツイのを解決するために子どもに求めるのではなく、
子どもの育ちを守るために、大人同士で支えあっていければ素敵。
僕もできる限りフォローします。

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by doughnut-official | 2013-05-03 16:33 | コラム・エッセイ | Comments(3)
Commented by じだんだ at 2013-05-03 20:04 x
 泣きを嫌う大人少なくないね。多分自分の育ちの中で「泣く」が生活の中にあふれてはいなかったんだね。泣きを見極められない大人、泣きを物でごまかす大人も少なくないね。保育場面でも「泣き声が聞こえない」部屋の保育士が熟達している・・・・なんて評価する方もいらっしゃるかも。泣きを止めると笑いもなくなる!!とおっしゃった方も・・・。子どもはうるさくて、汚れてなんぼでしょ。感情が出てありがたい。じだんだ踏むほどパワフルに泣いていいよね。
Commented by ぽんぽこ at 2013-06-16 12:14 x
フェイスブックから来ました~
「どうして泣いたのか」「相手の心に寄り添う」って大切ですね。
私は障害児・者と関わる現場でですが、すごく共感します!
Commented by doughnut-official at 2013-06-19 15:19
>じだんさん
ですね。
昔は社会の雰囲気自体がそういうことを受け入れてくれる・教えてくれる(orそんなこと気にならないくらい大人自身に必死)という形でキャパを持っていたのかもなぁと思います。でも、今はよくもわるくも余裕があって、気になる時代になっている。だから「泣けることの大切さ」「遊びの大切さ」なんて学んでいくことは、本来ナンセンスなことかもしれないけど、意味を知ることで受け皿を大きくしていくことって、大切なんだろうなと思います。

>ぽんぽこさん
コメントありがとうございます!
僕自身も障害をもつ子どもたちとの関わりの場面ってけっこうありますが、全然関係ないですよね。人と人のコミュニケーション。
泣くのも、笑うのも、さらには目線を動かすだけとか、身体の筋肉が緊張するだけとか、そういう全部のことに意味があって、それらをどれだけ丁寧にやりとりができるかということなんでしょうね。これからもよろしくお願いします(^^)
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